闘病日記について

親父が難病らしいと分かってから、私は日記を付け始めました。
親父の病気のことを書くための日記です。毎日書いた訳じゃありません。気が付いたときや、特に何かあったときにワープロで書いていきました。
ZIPに一日ごとのファイルとして書き込んでいきました。やがて、1枚のZIPに入り切らなくなり、2枚目になって、そのうちにHDに全部移しました。結局平成13年の10月1日から平成16年8月22日まで、
足かけ4年に渡る日記となってしまったのです。親父が亡くなって、日記はやめたのですが、もう書くことがないというのが悲しかったです。

 

 

日記はいくつかの年代に分けることが出来ます。


平成13年10月
平成13年11月~12月

これは診断期ということができます。KK病院入院期であり、ALSという病気を知る時期です。奇跡的に快復し家に帰る決心を家族がするまでにあたります。

 

平成14年1月~3月
平成14年4月~6月

自宅療養の初期ということが出来ます。親父もまだ体力もあり、食事も出来た頃です。そして夏には親父の身体がくずおれて、食事は胃婁中心に変わっていくことになります。

 

平成14年7月~12月
平成15年1月~6月

自宅療養後期は、長期入院先を探す時期といってもいいと思います。このままではいけない、このままでは共倒れになる、そう考えていました。病院からのドタキャンを経験して、ようやく入院先が決定します。

 

平成15年7月~12月
NT病院での入院生活は決して安楽なものではなかったのですが、このころは比較的元気で、意思伝達装置を試みたりした時期でした。長期入院前期ということができます。

 

平成16年1月~3月
平成16年4月~6月
平成16年7月~8月
長期入院療養後期は本当に厳しい半年だったと思います。ただただ弱っていく親父に付き合って家族も消耗していたと思います。

 

 

日記は土日が多い。
入院中などは、土日に見舞ってその時の様子を書くから当たり前なんですが。また日記は感染症をはじめ、厳しい状態のことを書いてあることが多い。特別なことがあったときに日記は書きますから、これも仕方のないことではあります。

 

実際には実に穏やかに、時には楽しく家で一緒に過ごしたり、病院でも談笑したり(もちろん親父はしゃべれませんが)したこともあったわけです。しかしそういうことが書かれているのはむしろ少ない。楽しかった事などは親父の大好きだったリハビリの項目で書こうと思います。

 

 

最後に日記は病院名はアルファベットの記号で、人名は架空の名前を付けて表記してあります。(15年が過ぎて一部実名を載せさせていただきました。)

しかしながら日記の内容には一切修正や加筆などしていません。従って、私の理解不足や勘違いも多々あります。特に医療データや表記など間違っているものもあると思いますが、これは医学の報告HPではないということでお許しください。手を加えない方がその時々の臨場感は伝わるのではないかと思います。