闘病日記 平成13年10月

平成13年10月1日(月)雨
先週予約のKK病院 神経内科を受診。
芳山医長にお目にかかる。
簡単な診察と問診のあと、入院検査を薦められる。
提出した症状の説明などからもALSである可能性が高いとのこと。
全ては検査結果待ち。病院は古くだだっ広い廊下が繋がるつくり。
入院予約手続きをした後、帰る。

 

 

 

平成13年10月10日(水)雨
KK病院第17病棟318病室へ入院。まずは検査から。
ただし、芳山医長の判断ではおそらくALSであろうとのこと。
他の病気の可能性にかける。病棟の食堂で親父、お袋と同席にて今後の方針を説明される。
その席でもALSについて、芳山医長より説明。厳しい内容。
親父どこまで理解しているのか、真剣な目で頷く。
これから長い戦いが始まる。先の見えない、未来のない戦いが。

 

 

 

平成13年10月13日(土)
入院後、最初の休日。
午後4時、家族で見舞に行く。
病室に入ると、親父は寝ていた。自分が起こすと、後からお袋と由佳里の顔。
いままでぶっちょうずらばかりしていた親父が、ニコニコっと笑う。
うれしかったようだ。
持参の寿司を5つ食べる。

 

 

 

平成13年10月17日(水)雨
午前10時、KK病院芳山医長より携帯に電話あり。
本来明日のアポであったが急を要するため本日夕方来院できないかとのこと。5時半に約束。

 

<検査結果が判明>
病名:筋萎縮性側索硬化症(ALS)
   髄液検査、筋電図などを経てALSと断定。慢性多発神経炎など他の病気の可

   能性を否定。原因不明、治療不能な神経難病。運動神経細胞の消失により起こ

   る。諸説あるが、①酸化ストレス ②グルタミン酸 ③遺伝子の3方向が考え

   られている。②の場合、リルテックという薬に効果が認められている。
<現症状について>
呼吸機能低下:皮膚酸素飽和度 88(一般には97~98であり、95を切ると息

       苦しくなる。)緊急を要する値だとのこと。
動脈血ガス分析:二酸化炭素濃度 40(夜間)、79(昼間)
        通常は91.7であり、呼吸量は一般人の半分以下の状態 → 
        いつ呼吸困難に陥ってもおかしくない状態だとのこと。
<対応>
延命治療
① 気管切開:気管に穴を開け、口から気管入り口までの酸素逸失分を救う → 
       2~3週間は現状を維持できるが、更に悪化する場合人工呼吸器を装

       着しなくては無理。
② 人工呼吸器:強制呼吸。確実な延命効果があるが、家族・本人の了解が必要。
        やむを得なければ家族は了承するが、本人はどうなのか?
③ 非浸襲的酸素吸入:酸素マスク様の自動呼吸補助装置。微かな胸の動きに併せて

           酸素を供給し、胸の動きに併せて息を吸い取る機器。装着に

           は慣れが必要であり、訓練がいる。
現状のままだと、呼吸困難に陥るまで、数日から1,2週間以内。
気管切開し、人工呼吸器を装着しても体力の限界まで約半年くらいではないか。こればかりは本人次第で分からないとのこと。
ただ、入院時の場合、感染症を起こして死に至るケースが比較的多いとのこと。
病院には病原菌が多く、切開した気管から直接肺に感染が起こる場合である。
<選択>
現状を維持し、呼吸困難を招き死に至らしめるのは家族の本意でない。問題は本人にどうやって納得させるかである。
(本人に判断能力はあるのか)
脳梗塞による痴呆の問題。KK病院でのMR撮影に依れば、多発性脳梗塞に間違いないものの、その進行度は比較的軽度で特に脳の萎縮が見られないことから重要な能力は失われていないと判断できる。
頭の回転は遅くなっているものの、判断能力はあると思われる。
<方針>
③の酸素マスクで様子を見つつ、期待のある薬剤を使用する。
まだ4例しか実施していないものの呼吸機能に関して若干の効果が見られたとのこと。但し、期待はしないで欲しいとの芳山医長の言葉。もし、効果があれば気管切開を遅らせることが出来る。
<介護>
KK病院での入院は3ヶ月が限度である。色々な条件からこれ以上の入院は認められない。在宅療養か転院か選択を迫られることになるが、今はその考察は棚上げとした。尚、元KK病院神経内科部長が開業された病院がS市とG市にあり最後まで入院可能だとのこと。入院費用月額10万円ほど。

 

介護問題については、明日ボランティアの方とともに話をしましょうとのことで、明日3時に再訪問する。
尚、ALSであることの患者への告知は芳山医長から行うとのこと。絶望しないで欲しい。

 

○ 親父、食事中。食事の一品を指し示し、食べてみろと言う。
  ポテトサラダにみじん切りのキュウリが入っていた。看護婦に残してもいいと了

  解を得る。食事、きざみ食の指示。嚥下障害も進行中なのか。
○ 呼吸リハビリを始めており、部屋まで出張してくれるとのこと。2回やっただけ

  でずいぶん楽になったと言う。つまり日常でも息苦しい証拠である。
○ 本日4時半頃、部屋を移動。個室へ移る。310号室。

 

 

 

平成13年10月18日(木)
午後3時、再びKK病院へ。お袋が聞いていた、入れ歯の安定剤とバナナ3本、醤油を持っていく。
駅前のスーパーでバナナと醤油を調達。
病室にて芳山医師より、看護婦立ち会いのもと病気の告知をする。
個別にやってくれるのかと思っていたが、家族立ち会いとするらしい。
親父はどこまで理解したのか、わからない。
普通でも、いきなり「あんた死ぬよ。」と言われたら面食らうはず、仕方ないと思う。
昨日の話し合い通り、鼻マスクによる人工呼吸の訓練を開始する。ものの数分で苦しがり、中止。
ALS未承認薬エダラボンの投与を開始。同意書を受け取る。後日サインの上返却。
これは実験であり、どこまで効果があるかは不明であるとのこと。
また、現在の状態からして鼻マスクによる人工呼吸とリハビリとで薬効が現れるまで持つかどうかも不明。
薬効が現れるのは2,3週間後とのことで間に合わない公算が大きい。
その際には気管切開-人工呼吸器。

 

その後、ボランティアの川田さん、吉岡さんらと会談。
お二人ともご主人をALSで無くされたご遺族であるそう。
在宅介護の方法や病院への入院など、今後相談に乗って貰うことに。
芳山医長としては在宅の方法を探るべきとのご意見だが、ボランティアお二人のご意見は在宅は無理とのことだった。
介護の経験から、在宅介護はヘルパーを付けても並大抵のことではないとのこと。
息子さん、娘さんにも仕事があり、これを投げ打ってまでの在宅介護には賛成しないとおっしゃいました。
割り切らないとダメだとも。

 

○ 帰りに今一度病室に寄るが、親父ちょっと不機嫌そう。告知のせいか、粗相して

  しまったせいか。
○ バナナ、醤油には興味を示さず。やはりお袋に持ってきて欲しいのかも知れな

  い。それにしても今後、どうやって行けばいいのか不安と絶望感でいっぱいにな

  る。

 

 

 

平成13年10月26日(金)
午前10時半、KK病院芳山医長より電話。
親父の呼吸の具合がやはり良くないとのこと。午後1時にアポ。
急患のため廊下での立ち話のみ。
やはり鼻マスクでは持ちこたえそうもないとのこと。危ない場合は
気管送管し、人工呼吸器を付けることを了解する。
その状態で2,3日手術待ち。その後気管切開手術をすることに
なる。いよいよ、人工呼吸器装着。これなしでは生きられなくなる。
親父は眠った状態。30分ほどそばに付いている。
看護婦と立ち話。
誰かそばにいるといいが、ひとりで寝ていると不安になる。そう訴えていたという。
そんな高度なコミュニケーションが出来るものか疑問だが、付いている時間が短いのも事実。反省する。
夜7時半、新部課歓送迎会を遠慮して、病院へ。
親父は比較的落ち着いた様子。
今一度、病気のこと、人工呼吸器のことを話す。
「身体はもとにもどらないのか。」と書く。
「もどらない。この病気は原因も治療法もまだ分かっていない難病です。」と答える。
また、このままでは呼吸が止まってしまい死んでしまうと説明、人工呼吸器を付けることになると話す。
「時間稼ぎか。」と聞く。
「そうだ。」と答えるしかない。治療ではなく、時間稼ぎ。
しかし、そうやって生き延びている間に新薬が発明されるかも知れない。そこにチャンスが生まれると、説明。
気休めだ。8時半頃まで付いている。帰り際、
「明日はみんなで来るよ。」と言って手を挙げると、親父も手を挙げて微笑んだ。

 

 

 

平成13年10月28日(日)雨
朝、KK病院看護婦から電話。
昨晩2時半頃、親父の呼吸が悪化。同3時頃、気道確保し、人工呼吸器装着したとのこと。
昨日は家族で見舞。3時間ほど病室にいて、筆談等したが疲れたためか。
さかんに金のことを気にしていた。
「友の会からの見舞金が出る」とか
「家の夏服のポケットに財布が入っていて、そこに4,5万入っているから由佳里にやる。」とか、
「年金の中から2万円を積み立てているのが30万か50万くらいあるから、俺にやる。」とか、いろいろ書いていた。
覚悟を決めていたのか…。それとも、病院への払いなど、金がかかっていることを気にしてのことか。
久しぶりの一家団欒の雰囲気だった。
11時頃車で出る。雨が落ち出す。
12時着。親父は口から管を通され、人工呼吸器が規則正しい換気音を響かせていた。
各種センサーからは脈拍や血圧の数値がデジタル表示され刻々と変化している。
点滴の管も繋がれ、そこにも制御の機器が。医療機器に守られた親父。いや、医療機器に繋がれた親父。
それなしではもはや生きられない。
麻酔薬で眠っており意識はない。そばについているだけ。
血圧が低めとのことで、血圧上昇剤を使っているとのこと。しばしば血圧低下のアラームが鳴る。
その度にどっきっとする。
2時頃、芳山医師が病棟へ来られる。休日出勤?白衣のしたはポロシャツだった。
鼻マスクにはやはりなかなか慣れないよう。医師がいるときは我慢するものの、いなくなるとすぐに嫌がってしまうとか。
相変わらず地道な努力の嫌いな人。
新薬の効果を確かめる間もなく、呼吸は危険な状態へ。
血液中の二酸化炭素濃度が60%を越えており、この状態では新薬の効果も期待が持てないとのこと。
もう1ヶ月余裕があれば新薬の効果をじっくり観察できた。後の祭り。
来週、火曜日か金曜日に気管切開の手術を外科にて行う。明日夕方にも日程を連絡するとのこと。
新薬の効果があれば、気管切開して人工呼吸器を装着しても日に数時間は外しておける可能性も半分くらいあるらしい。
車いすにて散歩も可能か。また、経口の食事も楽しみとして味わうレベルならば可能とのこと。
父の場合、手足の麻痺よりも胸、喉の麻痺が先に来ており、病気の進行が速い。
そう思っていたが、このぐらいのスピードは一般的だとのこと。
昨年夏頃の言語障害はALS発症にほぼ間違いない。
ただし、その段階で診断が付いても他病院では医師の告知があるのみで何も出来なかったはず。
新薬など試みが出来るのはKK病院くらいだという。
仮にその段階でKK病院へ来院しても、最終的な結果は同じだったわけだ。
ALSは罹ったが最後の病気である。癌より恐ろしいのだ。
結局家族は呼ばず、自分だけ4時過ぎまで病院にとどまり、帰る。
帰りは大雨。これを書いている29日午前12時半、雷も鳴る大荒れの天気。親父にツキはないのか。

 

 

 

平成13年10月29日(月)
お袋が見舞に。
偶然芳山医師とお会いしたとのこと。
明日の手術は外科医不在のため延期。
気管送管のまま金曜日まで待機。苦しそう。

 

 

 

平成13年10月31日(水)
午前中休みを貰って、各種手続きの書類を貰いに回る。
1) 役所  : 身体障害者手帳の申請書類一式
2) 保健会館: 介護保険受給申請書
3) 保健所 : 特定疾患治療研究費申請書
身体障害者手帳は国のあらゆる福祉サービスを受けるために必要。
特定疾患治療研究費というのは、特に重症申請の場合すべての治療費+入院費が国費負担となる。
ただし、親父の場合老人保険適用のためもともと自己負担額はあまり大きくない。
面倒な書類をそろえなくとも、金銭的にはやっていけそうではある。

 

帰り、実家の叔父に挨拶に寄る。
実は先週見舞に行きたい旨申し出があったが、親父の希望で断った経緯あり。
今では唯一親交のある兄弟であり、一応病気の説明をしておいた。分かったとのこと。