闘病日記 平成14年7月〜9月

平成14年7月1日
とうとう7月。そして、今晩突然親父の腰が崩れる。
昼間は普通にしていたものが、夜トイレに立った折りに、立っていられずに崩折れてしまう。
自分が帰宅後だったために何とか助け起こすが、お袋一人ではどうにもならなかっただろう。
実は昼間にもベッドに突っ伏してしまい往生したという。歩くこともほとんど出来ない。
いよいよ、足腰の筋肉が弱まってしまったのか。それにしても突然来るものだろうか…。
ベッドの上では、足も自在に動く。
腰の筋肉なのか、2足歩行に必要などこかが失われてしまったのか。
いずれにしても、身動きが出来ず寝たきりの状態となれば自宅での介護は出来ない。
これは昨年以来決めていたことではある。トイレが全ておむつになってしまう。
床ずれ防止の体移動を夜中に繰り返さなくてはならない。これは不可能だ。
なるべく先送りにしたかった決断の時が近いのかも知れない。
つまり自宅療養を諦め、親父に病院へ入って貰うことを決めなくてはならない。

 

 

平成14年7月12日(金)
ネブライザーを手に入れる。
役所の援助を期待して、ソーシャルワーカーに視察をお願いしていたものの、
親父が熱を出したりタイミングが合わず、結局自費購入することに。
呼吸器に取り付けられる純正品があるとかでFC社に直接依頼した。
H財団へ援助申請が出来るそうで、その道を選ぶ。
実際にはまだ使用せず。

 

 

平成14年7月20日(土)
夜8時頃FC社石田さんから電話。
現在使用中の人工呼吸器LTV950について、アメリカで不具合箇所が発覚、
呼吸器が外れてもアラームが鳴り続けないという事態が起こるらしい。
外付けの警報装置を支給されているが、現在は使っていない。
それについて了解している旨の一筆が欲しいとか。
ようは該当機種人工呼吸器のリコールということだ。
すぐに止まるということではないらしいが、
厚生省からは対策案を示すように指示されているとのこと。
たった一台の呼吸器にトラブルが起こるのは恐ろしい。

 

 

平成14年7月23日
お袋の疲れ、ピークの様子。
ショートステイの順番確認などのため、KK病院へ電話。森山婦長と話をする。
気切部の痛みについてはカニューレの太さ変更を含めて見てみないと何ともいえないとのこと。
傷の保護シート等は病院では使わないとのことで、訪問看護婦に相談した方がいいと。
ショートステイは順番待ちで、8月中旬くらいまでにはという目途。
現在も一人が順番待ちで入れずという状況らしい。
また、LTV950のリコール騒ぎについてはロット番号により
修理が必要かどうかが別れるとのことで、現在はメーカーサイドの集計結果を待っている状態だとか。
それまでは病院としての見解は出していない。

 

 

平成14年7月25日(木)
午後3時半頃外出先にて携帯に自宅より電話あり。親父が再び熱を出しているとのこと。
38度4分と高熱が出て、サーチレーターも78しかない。
YS看護ステーションの松田さんに来て頂き針尾先生の指示で抗生物質点滴を実施。
吸入も試すが、酸素飽和度は81より上がらず、口の中が赤く腫れ上がっているとのこと。
入院させた方がいいんじゃないかとのことだった。
先日の森山婦長との電話の件もあり、あまり気は進まないものの
TS中央病院へ来ていた針尾先生に電話、直接芳山先生に話してみたらとのこと。
4時まで会議という芳山先生を待って、もう一度電話。
サーチレーターの数値が81から上がらないこと、現在も熱が37度6分あることなど、今日の経過を説明したところ入院の準備をするので連絡をいただけることに。
急いで、家に帰る。5時半、芳山先生から自宅へ電話。
病院が電話工事のため、急いで欲しいとのこと。救急車を手配。
5人がかりで呼吸器を付けたまま救急車へ。早速門前に野次馬のおばさんたちが数名。これを蹴散らして救急車へ乗り込む。
救急車はサイレンを鳴らしながら夕方の渋滞の中、国道線を行く。午後6時半過ぎKK病院到着。
17病棟へ。森山婦長もいらっしゃり、恐縮。わざとやったんじゃないんですが…。
患者さんお一人に動いて頂いたそうで、心苦しい限り。
手慣れた吸引と酸素の供給で、たちまちサーチレーターは94まで回復。苦しさを脱する。
芳山先生の見立てでは、誤嚥性肺炎の可能性有り。
また、舌が動かない、喉の奥に唾液が溜まっているなど、経口の栄養摂取は難しいかも知れないとのこと。
胃婁を作ることになるのではないか。肺炎を治して、食事の状態を見て決めるそうです。
結局9時近くまで病室にいて、帰る。
お袋には格好の介護休暇になりはするものの、今回ばかりは今後のことを考えないわけにはいかない。
自宅介護を諦めて入院生活をするのか否か結論を出さねばならない。
それがKK病院ならいいが、他病院でどの程度のサービスが受けられるのか、また費用面も不安の種である。
結論は急がねばならない。

 

 

平成14年7月30日(火)
午前9時半頃KK病院芳山先生から電話。
昨晩より食事を開始するが、やはり誤嚥が多く全ての栄養を口からとるのは難しいだろうとのこと。木曜日にも胃婁の設営術をしたいとの連絡だった。夕方5時に病院へ行くことにする。

 

食事後にカフの脇から食べ物が多く吸引される。口からの栄養摂取は難しい。
胃婁についてその手術内容など説明を受ける。簡単な手術であるという。
それよりも精神的なショックの方が心配。胃婁を作っても口から食べることは問題ないとのこと。
あとは誤嚥との兼ね合いで、どこまで食事を許すかということか。
食いしんぼで食べることに執念を見せていた親父からいよいよ食事を取り上げることになる。

 

お袋の健康状態など説明し、このまま家庭での介護を続けるのは難しいのではないかという話をする。
長期で受け入れてくれるS市の病院へ予約を入れて貰いたいと申し出るが、
胃婁を作った後、食事の状態など見てから決めてもいいんじゃないかと芳山先生。
そちらの病院では、胃婁をつくってある患者にわざわざ手間を掛けて経口での栄養は採らせないのかも知れない。
それが普通か…。
が、お袋のQOLはどうなるのか。
昨夏の腸の内視鏡検診から1年。再び検査を受ける。
依然腹痛などもあるようで、癌化している可能性も否定できないとか。
お願いです、助けてください。

 

看護婦の岩田さんが病室に来る。親父泣き出す。前回、前々回の時からよくしてくれたらしい。
「なにか辛いことでもあったの?」いっしょになって涙ぐんでいる岩田さんに好感。
去年からずっと辛いんです。

 

 

平成14年7月31日(水)
昨日病院で言われた、髭を剃ってあげたいのでカミソリを持ってきて貰えないかというのを受けて、
由佳里にカミソリを届けて貰う。
その時にパジャマが足りないことに気が付いて、夜仕事から帰ってから病院へ行ったそうだ。
帰ってきたのは9時過ぎ。

 

明日は親父胃婁の設営手術。そして、お袋の内視鏡検査。
少しこの老夫婦に過酷すぎないか?運命は。
せめてお袋には元気でいて欲しい。

 

 

平成14年8月1日(木)
午後3時半、お袋の内視鏡検査の結果を心配しているところへTS中央病院から電話。
お袋に頼まれて電話したとのことで、看護婦さんから。
内視鏡検査中ポリープが見つかり切除したので、入院しましたということ。驚く。

 

会社を早退してまず、KK病院へ。
親父の胃婁造設手術は午前中に終了。安静状態。
親父病室にシマヘビが出るという。100とか、50とか、300とか、数字を書くが意味不明。
痴呆が始まったのか…。15分ほど付き合って、病院を後に。

 

6時少し前、TS中央病院に到着。
お袋203号室にて静養中。術後は相当腹が痛かったらしい。
かなり大きなポリープを切除したらしく、2,3日の安静が必要。出血などを観察するという。
ポリープがどういう類のものだったのか、病理検査の結果を待たねばならない。
癌化したものでない限り、とってしまえばひとまず安心だ。

 

8時過ぎ再び、由佳里と一緒に病室へ。パジャマに着替える。
その後近所のファミレスで食事。二人だけになってしまうこと、淋しくていやだ。

 

 

平成14年8月11日
揃ってKK病院へ。先週木曜日から食事を開始。
昼と夜にミキサー食を食べ、食べ残しが多ければリキッド(流動食)を1缶と水分補給に白湯を250cc
胃婁から入れることになっている。
昨日の訪問時には、ベッドを起きあがらせた状態でおり、目の前には甘納豆の粒が…。
朝から甘納豆としつこく書くので看護士のお兄さんが売店で買ってくれたそう。
これが喉に詰まったとかで大騒ぎに。結局甘納豆は食べられなかったらしい。
その時に明日は水ようかんを持ってきてやると約束した。
約束の水ようかんはうまかったらしく、昼食後にほとんど1缶を平らげる。
車椅子に1時間ほど座っていたらしい。食後も苦しそうなそぶりは見せず、良好な状態に見える。
但し、足腰は弱っているようで椅子からベッドへの異動が難しい。
これではお袋一人での介護は難しいかも知れない。課題。
胃婁も特に問題はなさそうで、いよいよ退院のことを心配する必要が…。
家庭での介護を放棄して入院を選択するか、どうするか、決めなくてはならない。

 

 

平成14年8月24日(土)
まずは帰宅することとした矢先、今日、所望のどら焼きを持って見舞に行くと
昨日から熱を出して苦しいとのことで、食事を停止中だった。
ベッドに黙って横たわっており、再び酸素も。とりあえず苦しさはないようだが、元気がない。
レントゲンを撮ったそうで、しかしはっきりとした影はないらしい。衰弱の故か。
水曜日と木曜日に昼間一人で病院へ行ったときは、一人で昼食を食べており、まずまずの体調に見えたが…。
病院でも安定しない状態で、果たして家でやっていけるのか。
とりあえず水曜日には、親父に今後の方針として、3ヶ月を目途に帰宅し、
3度目のショートステイの後はGTかSS病院へ転院する旨話をした。
最初、「イエニイル」と書くが、お袋の体調のことを言って納得させる。
このような状態では3ヶ月も自宅療養はできないかもしれない。
食事が出来ないと、がっくり来るかも知れない。

 

 

平成14年8月26日(月)
朝、担当看護婦の下田さんと電話。お袋と妹が今日病院へ行くので、実習をお願いする。
また、芳山先生とのお話を木曜日午後5時半に設定。
それ以前に週末の退院が本当に可能なのかどうか、夕方に電話を貰うことになる。
レントゲン、血液検査の結果が夕方に出るのでそれを見て決めるとのこと。
ただ、下田さんの見解としては黄色い痰がまだ出ており、週末退院は無理ではないか、退院してもすぐに戻ってくることになると思うとのことだった。

夕方、下田さんから電話有り。
検査の結果、肺に影は見られないものの、血液に炎症反応有り、退院は1週間延ばすことになる。
約束通り、木曜日には芳山先生に面会予定。その時、下田さんから胃婁の扱い方などを今一度習うことにする。
それにしても、病院にいても肺炎を起こす現状はかなり体が弱っているということか。

 

 

平成14年8月29日(木)
5時過ぎにKK病院へ行く。
JRで人身事故があったとかで電車大幅に遅れるものの、約束通り。
先生の話では肺の影は消えたものの炎症があるとのこと。
1週間で完治するので来週の退院は大丈夫。家庭での注意点などを聞く。
血中酸素飽和度80以下ではすぐに救急車を呼んだ方がいい、
80代前半でも長く続くようなら病院へ、とのこと。
やはり誤嚥による肺炎は可能性が高いと思われる。
そのために、病院でも食事は昼食だけに限定。しかも、量は半分にしている。
今回家庭にも酸素を常備するように言われる。これは保険扱い。

 

 

平成14年9月5日(木)
結局今週は土曜日に揃って見舞に行ったきり、誰も病院へは行かず。
昼間に出かける。芳山先生もいらっしゃり、食事の仕方に注意をいただく。
用は詰め込みすぎ、頬張りすぎがいけない。常識的にも誤嚥の可能性を高めるだけと思われる。
S市病院の件、話が出る。一応、予約を入れたい旨依頼。
洗濯をして、帰るが、森山婦長が今回の入院ではさすがに元気がないのが心配と言っていた。
以前は病院では結構笑っていたのが、今回は笑う元気もないらしい。

 

 

平成14年9月6日(金)雨
夕べから大雨。台風の接近に伴う天候の悪化は、今日の夜まで続く見込み。
つくづく雨に縁のあるKK病院だ。午後1時半病院到着。早速洗濯物の取り込み。鞄に詰めていく作業。
病院からの処方の薬を受け取る。精算。これら作業であっという間に1時間がたち、2時半FC社の石田さんが到着。続いて、A寝台自動車の2名が着く。
森山婦長が退院の世話を色々と焼いてくれる。玄関先の車まで来てくれて父に別れの挨拶。
苦しいだろうけど、頑張らなきゃ。周りの人も辛くなっちゃうよ。
そう言って慰めてくれた。親父涙。
自動車は高速道路を使って一路家へ。30分強の短時間で到着。
タイミングを合わせて、FK薬品が酸素発生装置を持って現れる。見事な連携。
こうして、親父は再び、いや三度、家に帰ってきました。でも、これが最後の家になる予定です。
次回ショートステイ後は、SS病院へ転院の計画です。
可哀想だが、お袋の体力と体調がそれ以上の介護を許さないと思う。
わかって貰うしかない。既にそれは先々週に言ってあるんだが…。
7時から胃婁にリキッドを入れる。夕食はそれだけ。
午前12時過ぎ、眠れないとのことで、処方されていた眠剤を入れる。

 

 

平成14年9月26日(木)
退院して3週間。今のところ順調な様子。
と思いきや、夕方お袋から電話。「胃婁が入らない」。
どういうことかといえば、チューブが詰まっているらしく流れていかないらしい。
とりあえず、KK病院へ電話してみて看護婦さんに聞いてみては、とアドバイス。
こういうことが一人ではストレスになる。早々に会社を引けて家へ。
確かに流れていかない。ぬるま湯を注射器で胃婁へ。これを300CC分くらい続ける。
チューブをよくもんでチューブ内壁にこびりついたカスを落としていく。
いったん休憩を挟んで、10時半再びエンシュア・リキッドを注入。無事胃へ落ちていった。
平常の管理として水をよく流すことが大事らしい。管理不要と聞いていたが…。
芳山医長からはまだ連絡はない。
SS病院への紹介の話、忘れてしまったのか、来年からということでまだ速いと判断しているのか、こっちこそ迷うところ。迷ったが、催促は見送ることに。