闘病日記 平成14年10月〜12月

平成14年10月1日(火)
夜熱を出す。38度4分。酸素飽和度88。風邪薬を飲ませる。
歓楽街にいたところへPHSに電話。11時。
タクシーでとんぼ返り11時40分帰宅。酸素を使い、やや落ち着きを取り戻す。
12時頃には熱も37度4分まで下がる。酸素飽和度90。
着替えさせた後、1時前には就寝。痰はあまり出てこないが、臭気はきつい感じ。

 

 

 

平成14年10月5日(土)
針尾クリニックへ薬関係を貰いに行く。
エンシュアリキッドを受け取ってくることから自分が行く以外に方法はなくなった。
注射水と併せて、車でないと持ち帰りは不可能だ。
昨日、KK病院芳山医長に電話。SS病院への入院の件紹介状を貰うことにする。
書いてしまっていいか、と念を押されるが、真意は分からない。
1週間してから電話の上取りに伺うことになる。
親父は日に一度のお袋に食べさせて貰う食事を楽しみにしているようだ。
昨日は何のせいか、一口二口で食事が喉を通らなくなりやめてしまったそう。
今日は食べられるか心配していたが、食べることが出来た。
食べられなくなれば、諦めもつくものの、割り切れなさを感じる。
一方、お袋は本日TS中央病院にて甲状腺のCT。
先々週に続いて、今回は造影剤を入れての検査で、いったい何を疑っているのか。
総合的な判断をすれば、家庭療養はここらが限度と言うべきで、これ以上やっては不幸になると思われる。

 

 

 

平成14年10月19日(土)
夕方、お袋の甲状腺の検査結果を聞きにTS中央病院へ行く。当面の心配はなさそうだが、3ヶ月後くらいに今一度検査をする必要があるだろう。またひとつ爆弾を抱えたことになる。
しばらく親父の状態は安定。しかし、誤嚥はひどくなる一方でカニューレ脇からの吸引では食べ物が多く出てくる。
今日はかなり苦労したもののなんとか食事できた。
針尾クリニックへ行く。さかんに入院の予定はないのかと聞かれる。
SS病院の件は先週芳山医長に連絡を取るもまだとのことで、来週もう一度連絡することになっている。

 

 

 

平成14年10月30日(水)
4時、KK病院神経内科外来に芳山医長を訪ねる。SS神経内科病院への紹介状を貰うためだ。
先延ばしにしてきた感がある長期入院について進めて行かざるおえないから。
お袋の甲状腺障害の疑いや、来年2月にはやらねばならない大腸の内視鏡検査など、
また最近の足腰の衰えや体力的なものを考えても自宅療養はもう限界と思っている。
本格的に身体を壊す前に止めるしかない。親父は家に居たがるだろうし、恐らく病院では食事も、また椅子へ座ることすらさせてもらえなくなるだろう。それを考えると入院に踏み切れないのだが、だとしても来年1月でちょうど1年であり、もう止めても仕方のないことだと思う。
親父にもそろそろ覚悟を決めて貰うしかない。
冷たいようだが、出来るだけのことはやったし、お袋も守らねばならないのだから。
芳山医長との話の最中にも電話が入ってきたが、昨今マスコミで取り上げられた
エダラボンの副作用について話題騒然である。
KK病院神経内科では通常の倍の検査を行って患者の状態を確認して投与しており、問題はないという見解だった。
ALSに有効な薬がない今、エダラボンに掛かる期待は大きく、これで使用禁止などとなるのは残念である。
次回ショートステイ時には最後にもう一度エダラボンを使ってみることにする。
もっとも使ってもあまり期待は持てず、リスクとの兼ね合いになってしまうので要相談ではあるが…。

 

 

 

平成14年11月8日(木)
午後1時半、A寝台自動車が到着。やはり車に乗り込むのに手間取る。
1時45分頃出発。インターを出てからやや混雑するが、2時半過ぎには無事到着。
300号室に入る。今度の担当看護婦は櫻澤さん。芳山先生にもお目にかかれ、ラジカットの件お願いすることに。
但し実費だが、これはやむなし。
今回の入院では、親父も色々と注文を付けており、どうも呆れてしまう。
まず持っていくものは、「書くもの」ー字などもう書けないし、書きもしない、「時計」-なぜか時間にこだわる。
以前と一緒、次に「サンダル」-ベッドから降りて歩くことはないだろうが、
そして「かばんとお金」-聞けば散髪したいので金がいるという、あとはお菓子を買う金だとか。
前回入院時、看護士の方に売店で甘納豆を買って貰ったのを覚えているらしい。病院でも「甘納豆」と言っていた。
が、食べられるはずなし。どうも子供の遠足に近い。
病室が300号なのがちょっと不満な様子だった。
いつもの301号室がよかったようで、以前この部屋にいたおばあさんが亡くなった話をしていたが、そのせいかも。
肺炎による緊急入院とは大違いだ。

 

 

 

平成14年11月17日(日)
KK病院へ見舞に。
昨日から熱を出しており、レントゲンでも白い影が認められたということ。
またしても、肺炎の兆候だ。従って食事・リキッドとも中止し、リンゲル液と抗生物質を投与。
酸素も5リットルといかにも元気のない様子。
やはり口からの食事がいけないのか、おそらく誤嚥性肺炎と思われる。
休みのため、当直の先生の指示だそうで、明日芳山先生にもう一度診ていただくそうだ。
先生よりラジカットの請求書が届く。なんとか、効いてくれないだろうか。
お袋は腸の検査を早め11月26日に予約。入院中に検査をする。
何もなければいいが、SS病院へは院長先生との面談をとりあえず12月まで先延ばしにして貰ったばかりだ。

 

 

 

平成14年11月27日(水)
SS神経内科病院を訪問。会社からSS病院まで約1時間15分ほど。行きはタクシーに乗る。凄いところ。
朽ちかけた建物、老朽化し、すべてが古ぼけた病院に50人以上のALS患者とその他重症患者、全部で100人以上が入院している。
大部屋と称する病室はタコ部屋のよう。ベッドとベッドの間は30センチも感覚がなく、オムツを替えるのも、身体を拭くのもそのままの状態だ。
個室は一日7000円の差額ベッド代を取るが、個室とは名ばかりの解放空間。同様の処置が施される。
医療相談室の西田さんはまだ若く、もう一名同席。
この病院の厳しい現実を説明、KK病院のような手厚い看護はできないとのこと。手厚さ、を勘違いしている気がする。
ベッドの広さや、時間をかけた食事の世話ではなく、手厚さというのはもっと違う次元の話だ。
患者一人一人が快適に過ごせるようにする意志があるかどうか・・・、
そこのはず。おむつ交換の最中にカーテンを引く行為一つないがしろにすることが問題なのだと感じた。
しかしながら、スタッフは見学者の私に挨拶をよこし、かなりよく仕込まれている感じがした。
総合的にはあまりいい感じのしない病院。まさに姥捨山という表現がぴったりくる。申し込みについては躊躇してしまった。
GT神経内科病院も見学してみようと思う。

 

 

 

平成14年12月2日(月)
そろそろ入院から1ヶ月、退院の準備をしなくてはならない。
それにしても、お袋の大腸検診の結果次第というところ。
とりあえず、長らく連絡をしていなかった在宅療養スタッフの皆さんに状況を知らせるべく電話をかける。
ここで家庭医の針尾医師より信じられない発言が。12月は忙しいから訪問にいけないんで、年内は入院しててくれ、という。
あまりに一方的な言い方に腹が立った。
が、医者とけんかしてもこっちが損をしてしまうので、こらえて、また連絡しますということに。
早速TSヘルスステーションの金田さんに電話。代わりの家庭医を探してくれるように頼む。
これでは、親父が退院することができない。弱り果てた事態。

 

 

 

平成14年12月4日(水)
ヘルスステーションから電話。
家庭医のピンチヒッターとしてOT医院を紹介される。
ここの先生は昔から知っているが、今は代替わりして地域医療にも力を入れていらっしゃるとか。
子供の頃、往診に来てもらった記憶がある。大きな鞄を持って、小型自動車で地域を回るそんな医者だったが、
今は倅が引き継いでいるらしい。場所も近いし、受け入れることとする。
正直ヘルスステーションには何もできないと思っていただけに、ちょっと見直す。

 

 

 

平成14年12月6日(金)
GT神経内科病院を訪問。医療相談室駒田さんを訪ねる。聞き取り調査の後、院内を見学。
SS病院と比較するとやや落ち着いた感じ。病床数が50と少ないせいかもしれない。
来年SS病院新築後も独自で運営するらしい。
駒田さんの話でも、もし1月中くらいの入院でいいのなら、1月になってからの面談で間に合うのではないかとのこと。
現在GT病院に空きはなく、やはりいったんSSに入院後GTの空きを待つ形になるという。
だいたい半年以内の転院が可能らしい。それにしてもここに一旦入ると、呼吸器もなく従って外泊もかなり困難な様子。
また、胃婁の取り替え手術を何処かほかの病院で受けなくてはならないらしい。GTは場所がやはり魅力だ。
ここなら、仕事途中でも立ち寄れるし、家族で来るにもSSとは違う。(遠いことに代わりはないが。)
2時半から結局4時まで病院にいた。少なくとも駒田さんはかなり親身に話を聞いてくれたが・・・。

 

 

 

平成14年12月8日(日)
小雨まじりの中、家族でKK病院へ。親父相変わらず元気がない。
入院時はあれほど散髪を楽しみにしていたのが、それすら気力がないらしい。起きられないとも訴える。
ラジカットは残念ながら効果はない様子。芳山先生も次第に効果が薄くなるようだとの意見。
先週木曜日に病院へ行った折り、今後の計画については親父に説明した。
お袋の体力がもう持たないからSS病院へ来年には入院してもらうことも了解。
実際、昨日大腸の検査結果は潰瘍性大腸炎という原因治療方法不明の難病であることがわかった。
夫婦揃って難病とは、どういうことだろう。
何か悪いことでもしたというのか。お袋の病気はとりあえず今すぐどうこうはないが、暴れ出したときが怖い。
大量出血、腸に穴があく、などの場合大腸摘出手術ということになるらしい。特定疾患の申請をすることになる。
2時間ほど病室にいて、帰る。

 

 

 

平成14年12月19日(木)
親父退院。今回は由佳里にも仕事を休んでもらい、二人で病院へ。
由佳里が寝台車に同乗し、自分は荷物やリキッドなどを積み込んで自家用で帰ることに。
2時過ぎ病院を出発。3時、無事到着。寝台車の同乗が新米でやや不安があったが、なんとか無事に家に着く。
家には今度の酸素の会社F電子の担当が来ていた。
FC石田さんも急遽自宅へ来てもらいセッティング完了。
計画では最後の自宅療養だ。年末年始をゆっくり過ごせれば・・・。

 

 

 

平成14年12月20日(金)
昨日来近隣病院へ入院の打診をしている。
SSを嫌がっていることは確かで、例えばGTへの入院を待つ半年の間近隣の病院へは入れないか、そんなことを考えている。
国立療養所をはじめ、IC病院、CT脳外科病院など縁のある病院やY中央病院、S会N病院、YT保険病院、F中央病院など、当たってみるもいい返事は一つとしてない。
やはり近隣で名前があがるのがHT保険病院で、ここは無期限の長期入院が可能らしい。
ただし、一般病棟で1年待ち、個室で1,2ヶ月待ちとのこと。しかし個室の場合差額ベッド代が一日2万円とか。
とても払いきれる金額ではない。やはり、SS・GTしか行く道はないのかもしれない。残る選択肢は二つ。
SSに入院し、GTの空きを待つか。それとも自宅療養を続け、GTを待つか。
お袋に判断させるわけにも行かず、困り果てた状態だ。

 

 

 

平成14年12月27日(金)
仕事納め。
夜会社のみんなと打ち上げ。宴もたけなわの10時頃、お袋から電話。親父が熱を出して苦しんでいるとのこと。
由佳里もおらず電話してきたらしい。とりあえず、KK病院でもらってきた抗生物質を飲ませ、酸素を使うことを指示。
一次会終了後、タクシーで自宅へ向かう。一時は血中酸素飽和度が80台後半から動かなかったらしい。
80台後半ならまだ大丈夫。熱が下がらず、38度台。この日は一晩中部屋について、見張ることに。夜中数度にわたって痰を取る。結局朝になって、熱は下がり、苦しさも解消した模様。痰の量は相変わらず多く、慢性気管支炎の症状と思われる。