闘病日記 平成13年11月〜12月

平成13年11月1日(木)
午後3時頃、お袋から携帯に電話あり。
KK病院から今電話があって気管切開の手術を終えたとの連絡。
気管切開については同意も取り付けていたので、手術室が空いたために急遽実行したらしい。
問題なのは、事後連絡だったこと。当然手術の前に一報があるべきだ。
予定は明日のはずであり、何の連絡も無し。
急ぎ、会社を出て病院へ向かう。

病室には親父が喉から管を突きだし、人工呼吸器の単調な呼吸を繰り返していた。
まだ麻酔が覚めておらず眠ったまま。
ちょうど森山婦長がいたので、手術が早まったことの説明を担当医に聞きたい旨申し出る。やや強い態度。
そりゃそうでしょう、単に手術室が空いたからと説明されても簡単には信用できません。
何か事故が起こって(人為的なもの、あるいは機械のトラブル)、親父の容態が危険な状態に陥り、慌てて手術せざるおえなくなった、などと勘ぐりたくもなるわけです。
館内電話で芳山医師を呼び出すも手が離せず、電話にて説明を聞く。
ようは、連絡のミスだったとのこと。なにも危険なことはなかったと。一応納得し、電話を切る。
病院へはあまり強く文句を言えません。月曜日の5時に約束。
結局7時半頃まで病院にいる。親父の麻酔が覚めるのを待つため。目が覚めた時に誰もいないのは寂しいだろう。
特に呼吸器を装着された状態にショックを受けるんじゃないかと、それが心配だった。顔を見て頷いたので、帰宅。

夜8時半頃、芳山医長から電話有り。
電話での応対しか出来ず申し訳なかったとのこと。あらためて手術の予定変更について説明を聞く。
もともと火曜日がだめになった時点で、木曜日が有力候補だったとのこと。
ただし時間が特定できず、連絡できないまま急患など多く忘失していたとのこと。
自分のミスであることを認めた上で、改めて謝罪される。真摯な態度に感銘。
今後親父の呼吸がどうなるかは今のところ不明。様子を見ながら。
尚、気管支炎を起こしていることがやや心配。

 

 

平成13年11月3日(土)雨
揃ってKK病院へ行く。
家族の顔を見て親父涙ぐむ。
昨日はお袋が1人で見舞い、
「今日は19日か?」と聞いたらしい。
「今日は11月2日です。」と答えると涙を流していたとのこと。
長くなったという感慨か…。
しかしながら、私は入院後3週間でここまでに至る病気進行の速さにむしろ驚いている。
少しの感激の後、親父は私が送ったラジオを抱え込んで聞き入る。
2時間ほどで帰宅。
帰り際は決まって、手を挙げてバイバイポーズ。

 

 

平成13年11月5日(月)
約束通り5時に病院へ行く。
芳山医長と立ち話。
先週からの予告通り、本日昼から食事を再開。食事は自分でおおかたを平らげたとのこと。
ストローで吸うジュース類は残すものの、主食半分、副菜8割を食べたとのこと。
自分でこれだけ食べられれば、かなりいい状態じゃないかとのこと。
しかしながら、呼吸に関してはあまり芳しくない様子。
薬の効果は今のところあまり見られない。
人工呼吸器を外す訓練を開始するが、20分ほどで苦しくなりダメ。
外して10分ほどは胸も大きく動いているが、持続しないらしい。
人工呼吸器を外していられる時間が長くなれば、自分の足で立ち上がれるかも。
また車椅子で院内の散歩も可能になる。

芳山医長から、自宅療養の可能性について言われる。
お袋と会ったときに、感じたそうだが、今の親父の様子なら自宅でも介護できるんではないかとの意見。
私にはそうは思えない。力仕事にも問題があるし、なにより精神的に参ってしまうのではないか。
ただ、親父も家へ帰りたいだろう。連れ帰りたいのも山々である。
結論はまだ出ない。

 

親父との会話。
「大きな機械ははずせないのか?」
「はずせない。呼吸のリハビリを続けて、薬がもし効いたなら、
1日のうちに数時間外しておけるようになるかも知れない。」
「しっかり、リハビリしてくれ。手足も麻痺しないように動かせ。」

 

6時。夕食。カツ丼のペースト状。いかにも病人食だが、むさぼるように食べる。
食事の介護をして、帰る。これだけの介護に疲れる。これに下の世話では、やはり無理だろう。
何がベストの選択なのか、これから2ヶ月を掛けて考えなくてはならないし、
親父自身とも話し合わなくてはいけないだろう。ボランティアの川田さんの意見も重要。
それ以前に病気の理解をあらためてする必要がある。受け入れなくてはならない。

 

 

平成13年11月13日(火)
KK病院芳山医長へ電話。
現在の親父の状態について説明を受けたい旨連絡。
電話口で、かなりいい状態であるとの返事。
昨日お袋が見舞に行った折りにも、車椅子に座っていたとのこと。
急速に快復しているらしい。
金曜日夜に会う約束をする。

 

 

平成13年11月16日(金)晴
午後7時KK病院へ。
仕事がうまくいってないせいか、自分でも気が立っているのがわかる。
駅前のタクシーに罵声を。落ち着け。

 

今週に入っての親父の状態は、目に見えて快復した。
食事は3食平らげ、呼吸器を外している時間も長くなっていった。
今日は午前9時から午後6時まで、呼吸器を外していたそうである。

 

森山婦長と立ち話。
車椅子で病院内を自力で動き回ったそうだ。自分で車を回して。驚き。

表情が全然変わったという。血中の二酸化炭素が多いと頭が朦朧となるそうだ。
麻薬の作用みたいなもの。それがすっかり改善され、頭の中も明晰になったよう。

婦長も本当に喜んでくれて、感謝です。
この病院の看護婦達は皆優しい。ありがたい限り。ここを選んで良かったと思う。

 

芳山医長の説明。
自然平癒による呼吸機能の回復とは思えない。あきらかにエダラボンの効果が現れたようだ。4人の治検者全員にそれなりの効果は見られるそうで、特に親父の場合その効果が顕著である。呼吸機能の改善はすばらしく、人工呼吸器を半日外しておくこともできるようになった。
食事も、こぼすことなく飲み込めており、これも以前と比べ改善された。
またリハビリの報告に依れば、自分の足で立ったそうである。
ノートに書く文字がしっかりしてきたことは先週から感じていた。

 

髄液検査を再び実施。
数値でも改善が見られるとのこと。血中に出るアルブミンが33→26.7と減少している。
アルブミンが血中に流れ出すのを防ぐのがエダラボンの効果のひとつである。

ALSの進行が止まることは希にあるそうだ。
が、概して5年以内には目さえも動かない状態まで行き着くそうである。
但し70歳過ぎての発病からそういった例は報告がない。
今の状態でどこまででとどまるのか、それは誰にも分からないそうである。が、いずれALSは進行を始める。
その際に2度目のエダラボンを投与する、それは自己負担として10万円ほどとのこと。

 

KK病院17病棟への入院は3ヶ月が限度となっている。
自宅療養にしろ、他病院への入院にしろ、その準備期間を入れれば2,3ヶ月を要するはず。
そろそろ決断を急いで欲しい旨話がある。今の状態ならば自宅介護が十分可能ではないかとのこと。
それはそうだが、離れを増築するなど準備がいる。金もかかる。
また、介護の中心となるお袋が耐えられるかどうか。
依然、どこかの病院への転院がベストと考えるが、親父も家に帰りたいだろう。迷う。
今少し考える時間が欲しいとして、辞去。
問題は今の状態が長く保たれるのかどうか、だ。

 

お袋が持っていったサンマの煮物を朝、昼、夜の食事に食べていると言った。
また、今日は午前中に風呂に入ったとも。
運動する道具を持ってこいとのことで、生きる意欲が溢れているよう。
しかし…。

 

 

平成13年11月24日(土)
連休最中の見舞い。
連休初日の昨日は行かなかった。
大変喜ぶ。
補助具を使って歩いてみせる。途中トイレによって
用を足す。ここまで快復するとは…。
手の爪を切る。お袋指を切ってしまい血が。
親父の足と左手にむくみ。
かなり腫れている様子、気に掛かる。

 

 

平成13年11月26日(月)
夜、KK病院へ行く。日曜日に頼んでいた散髪が出来た様子。
こぎれいに髪を刈られて、ひげをすっかり綺麗にした姿で車椅子に座っていた。
どこかの偉い人のよう。
今後のことについて話を切り出す。

以前にはお袋の「帰りたいね。」という言葉に頷いたらしい。が、その後退院帰宅に関しては何も話さない。
難しいことは自分で分かっていたはずだから。
3ヶ月でKK病院を出なくてはならないこと、その場合その後の選択肢は2つしかない。他の病院へ転院か、自宅療養かだ。転院の場合、自宅近隣の病院への転院が希望だった。が、それは難しそうであるということをまず話す。黙って頷く親父。
補聴器を付けさせての会話なのではっきり聞き取れるはず、いちいち頷いている。
KK病院が紹介してくれるS神経内科病院ならばALSも理解し、長く入院できるが、その名の通り県外S市にある。
S市では週一回会いに行くのがやっとだ。
せっかくここまで快復したのにそれは寂しいじゃないか。
数日前からお袋とも話していたこと、自宅に連れて帰る計画を話す。

 

自宅の改造を計画していること、今日にも大工の棟梁が相談に来ていること、に驚いた様子。
ベッドを買って、車椅子を買って、人工呼吸器をリースして、自宅で出来る限りまで介護する旨を話して聞かせる。
やはりうれしそう。その際に、やはり介護の中心になるのはお袋しかいないこと。
だからお袋が身体をこわしたりするまえにギブアップする。あるいはお袋が病気になるなどの場合、親父には諦めて貰う。
だから親父の今の体調が続く限りの話である。起きあがれなくなるなど病気が進行すれば、自宅では介護しきれない。
その時はあらためて紹介を受けて、S病院へ行って貰うことになる。だから、出来る限り自分で何でもやって欲しい。

 

親父はさかんに、人工呼吸器はなくても大丈夫だと書く。問題は吸引とも書く。
自分でもなにが大変なのかよく分かっている。
呼吸器をいったん停めても大丈夫なんだから、吸引だって自分でやるくらいの覚悟をして欲しい。
お袋の体調がそんなにいいわけではないことを説明した。だから長きに渡っては無理だと思う。

 

次に金の話。
300万くらいで家が増築できればいい。
親父の退職金を食いつぶすしかない。
その他備品で100万として400万くらいか。
だからとにかく親父には体力を付けて、家に帰っても何でも自分で出来るようになって欲しいと話した。

 

芳山医長にも同じようにまずは家に連れて帰る計画を説明。ただし、頑張りすぎないこと。
早めにギブアップするつもりであることを話す。
図らずも医師の口から、これだけ快復するのは奇跡に近いんだからとの言葉。
やはり奇跡なのか。クロ公が守ってくれたとしか思えない。(クロ公のことは言っていない。) ※注:クロ公とは親父も可愛がっていた飼い猫のこと。数日前に死んでいた。

 

昨夜背中が痛く眠れなかったとのこと。
今日レントゲンを撮ったが、説明は受けていないということ。
手足のむくみといい、気に掛かる。

 

 

平成13年12月12日(水曜日)
KK病院へ芳山医師を訪ねる。
現在の状態について説明を受ける。
むくみの原因は肝臓障害だが原因については特定できず。恐らく何らかのウイルス性肝炎と思われる。
GTPの数値が当初400であったものが、200になり、先週には40になったとのこと。
今日の血液検査の結果如何でリハビリも再会するとのことだった。
ただ、血圧が高めで140~170。
脳梗塞もあり、心臓その他の合併症を起こす可能性が高いとのこと。
人工呼吸器を装着してから通常2~3年が寿命だとのことだった。
そのためにも早く家に連れ帰ってあげたい、快適に暮らせるうちに。

 

工務店の棟梁とも直に話し合って、見積書も貰った。
工事は年内には終わらせる旨了解を得ているが、まだ申請も済まず果たして終わるんだろうか。

 

直接先生から所轄保健所に電話していただき、保健婦の前田さんと話をする。
過日訪問の折りにはやや失礼な態度だったかも知れないが、この方を頼りにするのがいいらしい。
ここで以下の通りに決める。
1.人工呼吸器については芳山先生の方にて手配。
2.吸引機は保健婦にH財団への申請書を貰うことにする。
  いったん自分で買って請求書を回す由。ただし、認められるか否かは不明。
3.ケアマネージャーの選択についても保健婦と相談。
4.ホームドクターについては保健婦と相談の上、芳山先生から紹介状を貰い、直接出向くこととする。
5.介護用消耗品については保健婦と相談の上、個別に手配する。
6.訪問看護についても保健婦と相談する。
7.自宅での食事についてはKK病院看護婦の門田さんに聞く。

 

 

平成13年12月16日(日曜日)
KK病院へ揃って見舞に行く。
良好な状態からやや懸念される状態へ変化しているような気がする。考え過ぎか。
人工呼吸器を使う時間が増えている。昼間でも呼吸器の準備をしてある。
食事の喉の通りが悪いというようなことを言う。

 

退院、自宅療養に向けて準備を進めている。
生命保険会社の介護サービスは会社が契約するもので、相談に行ってみた。
だいたいの自宅介護までの流れを理解した。ケアマネージャーの存在が中心であるらしい。

 

部屋の増築工事はまだ始まらない。
いったい間に合うんだろうか…。
工務店との話は済み、増築の申請も済んだはず。速く工事にかかって部屋を完成させなくては。焦っている。

 

病院では実地の介護方法の説明が始まっている。
お袋も吸引を実際にやってみることに。
やり方は慣れればどうということはないが、常に注意を払っておく必要があることが大変だ。

 

門田さんからのメモ
(自宅介護用の消耗品等について)
以下の品目について保健婦と相談して、手配の準備をしてくださいとのこと。

 

セッシ2本
吸引チューブ 口腔用、気切用
Yガーゼ
テープ
ひも
綿棒
アンビューバッグ
人工鼻
イソジン(消毒用)
5%ヒビテン液
精製水

 

 

平成13年12月17日(月)
保健所に前田保健婦を訪ねる。
特定疾患申請時にお会いしたときは、近隣の病院への入院を希望していたが、
状況の変化により今度は在宅の相談に行く。気持ちよく応対。が、気を付けないと事務的に進むきらいあり。
結局、TD老人訪問看護ステーションかYS訪問看護ステーション、
あるいはSG訪問看護ステーションいずれかに絞り込む。

 

また、地域ヘルスセンターの小島さんにも継続連絡。
ホームドクターの選定など、アドバイスをいただく。

 

 

平成13年12月21日(金)
YS訪問看護ステーションを訪ねる。残り日数わずか、で焦る。
結局TS老人訪問看護ステーションにはケアマネージャーを引き受けて貰えず。
TS中央総合病院ケースワーカー白田氏へも要請したが引き受けて貰えなかった。
もともと中央病院の患者であるにもかかわらず、冷たい対応。
もっともお袋が現在通っていることもありあからさまな不平は言えない。

 

YS訪問看護ステーション遠井さんは、自分の話を真摯に聞いていただけた。
途中涙ぐみながらお聞きいただき、魅力を感じる。事務を手伝うあすかさんも可愛い人。しかしながら、ホームドクターを決めるのが先決とのことで引き受けて貰えなかった。訪問看護は医師の指示によりするので、まずは医者を決める必要があるとのこと。YS訪看では近所のクリニックの先生としばしば連携を取っているとのこと。
その先生に頼んでみてはとのことだった。しかし、人工呼吸器を付けた患者の経験はないそうだ。

 

この件を地域ヘルスセンターの小島さんに相談する。
電話でのやりとりの末、小島さんから人工呼吸器装着患者の往診経験もある針尾医師に打診していただけることに。
針尾医師はもとTS中央総合病院の医師で現在隣市にて開業、在宅療養患者も何人か受け持っておられる由。
YS訪看でも全く構わないとのこと。早速電話を入れアポイントを取る。

 

 

平成13年12月26日(水)
YS訪問看護ステーションを訪問。正式に契約書を取り交わす。
併せて、介護用品のカタログをいただきこれより物品を選ぶことに。
その後、隣市にある針尾クリニックを訪ねる。私鉄最寄り駅からは30分くらいの距離があった。
神社のそばの閑静な場所にクリニックはあった。明るい医院。感じがいい。
患者の合間を縫って、針尾医師に面会。
ホームドクターをお引き受けいただいた御礼とKK病院芳山医長からの紹介状を渡す。
母に依れば以前うちの近所にお住まいだったとのこと。
実際当町に住んでおられたそうで、うちのことも分かったようだった。感じのいい先生。
ただ、開業しておられて往診など実際出来るんだろうか、やや不安。

 

 

平成13年12月31日(月)
仕事もあり結局YS訪看への連絡は29日になってようやくFAXを送るのみ。あとは来年になる。
28日には保健所の前田さんと電話で話し、ケア会議の段取りが決まったことを聞く。
事前の話で1月15日には退院させたい旨連絡してあったこともあり、
1月10日にKK病院にて第一回のケア会議を行い、1月15日退院、
そして1月18日に自宅にて第2回の会議を行うこととする。
18日にはKK病院から芳山医長、森山婦長、門田看護婦、ケースワーカーなどがお見えになるとのこと。
またYS訪看の遠井看護婦、針尾クリニックの針尾院長が列席し、本格的な在宅看護が始まる。

 

こうしたことを1人でKK病院を訪ね、親父に伝える。
家の工事も順調に進み外壁、壁紙の工事を残すのみとなっている。
電気工事も済み、アース付で配線を完了。
また、人工呼吸器も家に持ち帰るポータブルサイズのものに取り替えられた。
吸引器の選定には森山婦長に大変お世話になる。
ある介護用品展示場の見学時に電話で直接森山さんに吸引器について相談。
病院で実物やカタログを見せていただきながら手配をお願いすることに。
いったん病院に納品し、性能を確かめてから購入の手配。
だめなら病院からメーカーに話をするということで、ここまで親切に面倒を見てくれるとは、感謝に耐えない。

 

ディスカウントストアにてエアコンを購入。1月12日の工事とする。