闘病日記 平成15年1月〜6月

平成15年1月16日(木)
GT神経内科病院を訪問。ケースワーカーの駒田さんと予定外の面会。
親父の入院について、非常に迷っている旨相談。
年末年始を過ごして1月下旬にはSS入院の計画だったが、親父が嫌がっており困っている。
もちろん説き伏せれば入院するんだろうが、泣いているものを無理に入院させて
もしものことでもあったら・・・そう思うと踏ん切りが付かないのが現状。
すでに昨年より2ヶ月近く迷っている。お袋もこの件は結論を出さないし、由佳里も意見さえ言わない。
自分が決めるしかないというプレッシャーはたまらない。
お袋が潰瘍性大腸炎なる特定疾患であることが判明して、この迷いは更に酷くなる。
当面の心配はないものの、何時悪化するか分からず、しかも癌化の可能性もある。
何時までも自宅介護を続けてストレスがたまるのもよくない。
もっとも、先だって保健所に特定疾患の申請を出しに行った際に前田さんと話す機会があった。
SSなどという遠い入院先では行き帰りの旅程だけでストレスになるんじゃないか。
しごくもっとも。毎週体調がいいとも限らず、かといって行かなければ2週間もほったらかしとなり、それはそれでストレスになることだろう。堂々巡りの話を駒田さんはよく聞いてくれた。
若いのに、駒田さんといい、SSの西田さんといい、よくできた子たちだ。
お父様に結論を出してもらうのが一番いいんじゃないですか、と言われる。
それが出来れば苦労がないが・・・。

 

 

平成15年1月20日(月)
結局、自宅介護を後少し延ばすことにほぼ決まる。
ようは結論の先送り。この優柔不断さが後で後悔を招かなければいいが。
GT病院への入院を待ち、それまで自宅あるいは近隣の病院に入院できないか、
探ってきたが、まずGT病院への直接入院はダメらしい、
あくまでSSの入院患者をGTへ転院させることが可能ということで、そこが少々難点。
が、TS中央病院はもちろん、YT保険病院、S会N病院、F中央病院、H中央病院、国立療養所、また、少なからず縁のあるCT脳外科病院、T大学IC病院、などなどどこも3ヶ月以上の入院はおろか、短期の入院さえ色よい返事はもらえず。
あらためて受け入れ先のないことを知る。

 

 

 

平成15年1月26日(日)
昼、親父に今回の件を伝える。1月10日頃、SS病院へ連絡を取ると話しておいただけに、
何時入院することになるのか不安だったはず。お袋がもう少し頑張るからということで3月頃までの自宅介護を続ける旨説明する。その後もう一度KK病院へショートステイに入り、その後SS病院へ入院する。
KK病院入院時にでも予約を入れ、待ち日数に応じて自宅へ一度戻るかどうか決める。
市内及び近隣病院の対応なども併せて説明し、受け入れ先はSSしかなさそうであることを説明した。
ただ、H保険病院のみ長期入院を認めており、ALS患者も検討してもらえるらしい。
ただ、入院までの待ち時間が1年以上になる模様。個室なら1~2ヶ月で入れるものの差額ベッド代が1日15000円から20000円とのこと。長期になればとうてい払える金額ではない。
その点SS病院は個室でも差額ベッド代は7000円と、かろうじて年金の中から払える金額。
大部屋なら月6~7万円で済む。が、あの病院は厳しい・・・。

 

今日は先週に続いて、経口の食事を試みる。うなぎととうふ。残念ながら先週同様、
飲み込むことはほとんど出来ない様子だった。味を確認するばかりだったよう。
先週あたりからやや痰が多く、臭いもきつい、やや体調を壊し気味であり、心配。
また緊急入院とかになれば、今回の計画がすべて狂う。

 

 

 

平成15年2月12日(水)午前1時半
先々週に熱を出して以来1週間ほど、厳しい日々が続いた。痰が多く、夜中に何度も起こされる。
が、それも先週末頃より治まり針尾医師の往診でも順調とのこと。
それが今晩になって再び発熱。
夜、要望に従って車椅子に座らせ湯で背中を拭く。足を湯につけて暖め、手も湯の中に。
メンソレータムAD軟膏を塗った。ところがその直後から震えだし、熱が38度以上に。
呼吸も苦しくなる。裸にして背中を拭いたためにそうなったのか、前回のがまだ治っていなかったのか、不明。
いずれにしても不安定な体調で自宅ではやはり限界を感じる。
かねてより処方の風邪薬を注入、酸素2リットルを供給する。氷枕、熱取りシート。血中酸素濃度は90前後。
本人は盛んに苦しいを連発。が、さほど苦しそうには見えない、以前の場合に比べれば。
慢性気管支炎とのKK病院での診断もありちょっとのことでも苦しいのかもしれない。
先週日曜日に家族と喧嘩になっており、介護される側もする側も精神的・物理的にいっぱいいっぱいか。
後1ヶ月強不安が残る。3月のショートステイ後はやはりSSしかないかもしれない・・・。

 

 

 

平成15年2月27日(木)
一昨日急にKK病院森山婦長から電話があり、ショートステイに入りませんかとのお誘い。
このまま、3月まで自宅で面倒を見てからショートステイ、その間に他の病院を当たりつつ
結果如何によりSS神経内科病院の予約を入れる計画だった。KK病院から転院というカタチ、
あるいはいったんは自宅に戻っても数週間で入院というつもりだった。
予定がくるうものの、喧嘩の後でもあり、ここは願ってもない申し出と、快諾する。
早速寝台車の手配などし、27日に入院となった。部屋は305号室。
久々の看護婦さんたちとの再会で、また泣き顔。とりあえず、週末に来る旨告げて病院を出る。

 

 

 

平成15年3月1日(土)
家族でKK病院へ向かう。
また、この道を運転している。いったいこの先どうなるのか、見当も付かない。
今はとりあえず、休息だ。特にお袋の足や腰の痛みなど、ここでゆっくりできる。
ベッドでは相変わらず仏頂面。が、今回の入院では初めてテレビを持ち込む。
木曜日に婦長さんに聞いて了解をもらっていたもの。
親父は、「聞いたのか?」と質問。そういうことには気を遣う。もちろんと説明して納得。
帰りがけに明日の日曜日は教育テレビの碁の番組を見せてくださいとメモを残す。

 

 

 

平成15年3月10日(月)
担当看護婦の濱田さんから携帯に電話。親父が下痢をしていて、洗濯物が溜まっている。
着替えがないという。理由は分からないという。
とにかくお袋に電話して明日にでも届けさせることに。
どうも下痢は先週かららしい。

 

 

 

平成15年3月16日(日)
親父に依れば、胃婁のチューブを替えたらしい。その手術の連絡は受けていない。
どうも勝手に交換手術をしたらしいのだ。
まあ、チューブ交換でもあるし目くじらたてることではないが・・・。
その後下痢が続いているのだという。
だいぶ治まったものの、胃婁チューブ交換とどんな関係があるかどうか。おそらくないのだろう。
ビオフェルミンを投与中。すぐに治まると親父に言う。
今日は碁の時間。チャンネルを合わせると、よく見入っていた。
テレビでずいぶん気が紛れているようだ。

 

 

 

平成15年3月19日(水)
お袋が親父の見舞いに。
電話で聞くと、洗濯物がやはり溜まっていたようだ。おむつももう半分が無くなっていた。
下痢気味なのは相変わらずらしく、リキッドを中止。リンゲルになっていたとのこと。
が、汚物はカタチをなしており治まっているのではないかと母と話す。
が、会議中自宅から電話。
途中抜け出して電話を入れると芳山先生から電話があり胃婁について問題ありらしい。
電話での話ではよく分からず、明日伺うことに。どうも手術のミスのよう。
開腹手術が必要になる可能性もあり、親父の体力が心配だ。

 

 

 

平成15年3月20日(木)
夕方KK病院へ。
芳山先生から状況を聞く。
胃婁のチューブ交換の手術をした折りに誤って大腸に胃婁を作ってしまったらしい。
そんなことあるのか?
レントゲン写真を見ながら説明を受ける。
胃がかなり小さくなっており、かわりに大腸が大きく張り出している。ここへチューブが繋がっていた。
胃婁チューブ交換は、抜き取ったチューブの穴へ新しいチューブを挿入して作るという。
このときに穴がくねっており、誤ったらしい。
今朝の内視鏡検査の折りにすでにやり直しは済んだとのこと。鳩尾あたりに新たな胃婁が出来た。それ以上は責めることもないし、とにかく術後が完全であることを充分見極めた上で退院したい旨申し出た。
4月になってからの退院にしましょうと、先生の話。了承する。

 

 

 

平成15年3月30日(日)
昨日に引き続きKK病院へ親父を見舞う。由佳里は留守番。
相変わらず無愛想。が、ようやく「何か食べられるのか」と文字に書く。退院後はまた何か口に入れさせよう。
それにしても、また自宅介護の日々が始まる。お袋の体力が持つのか。いつまで続けられるのか。長期入院先はなかなか見つからない。いや、SS神経内科病院なら可能なのだが・・・。
すでに自分でピックアップした先、保健所で聞いた先、十数の病院を当たったがなかなかいい返事は来ない。検討してもいいと言う先が2,3か。ただ、そういう病院には神経内科が無く専門医がいないのが実情。どうもうまくいかない。

 

 

 

平成15年4月11日(金)
TK病院の染井さんを訪ねる。
午後4時、最寄り駅から歩いて7,8分の病院は、駐車場も広く院内はよく清掃の行き届いたところだった。
中にはいるのはもちろん初めてだが、意外にきれいというのが第一印象。
染井さんは看護婦さんで、丁寧に、しかし、入院を前提とした応対をしてくださった。
実際に病棟を見学する。重症病棟ということで、ナースステーションのすぐ近くにベッドが配備されている。
個室風に間仕切りで仕切られた病室が6から7つ。
4人部屋の特に重症患者はナースステーションの隣にガラス張りで入院していた。
人工呼吸器を付けた患者もいて、なかなかに思われる。差額ベッドも8500円と良心的だ。
ただし、ひっかかるのは神経内科専門医がいないこと、また夜間は看護婦一人体制ということ。
果たして安全に快適に療養生活が送れるのか・・・。
早速、医療ジャーナリストの吉田さんと保健所の前田さんにメールにて意見を求める。
また、KK病院の芳山先生にも意見を求めるべく、アポを取ることにする。

 

 

 

平成15年4月17日(木)
昼12時。KK病院相談室を訪ねる。
長期入院先について意見を求めるためだ。
病院の廊下で森山婦長と出会い、相談室まで案内していただいた。
偶然が重なる。
相談室では芳山先生とALS協会の川田さんと吉田さん。
家族の体力を考えても長期入院すべき潮時だと思う、という話から
具体的にTK病院について意見を求めた。
川田さんの話ではかなり以前に一人入院患者がいたそうだ。
神経内科が無く、協会との接点も乏しいらしい。
芳山先生は神経内科の専門医がいるかどうかというより、療養の質を
問題にすべきとのこと。医者はおむつを替える訳じゃない、と。
差額ベッドの値段からいっても、人工呼吸器の患者がいることも、
自宅から近いということも、魅力的じゃないかとの皆の意見。
1ヶ月くらい入院して、見極めてはどうか。
安心して任せられそうもなければ、退院してあらためてSSを手配しても
いいんじゃないかと言ってくださる。
先生に紹介状を書いていただき、辞することに。
他にも当たってみたい先はあるものの、時間ばかり過ぎるので、ここらで
と思う。

 

 

 

平成15年4月28日(月)
再びTK病院へ。
会社からだと実に遠い。2時間近くを要する。
10分ほど待たされた後、染井さんに面会。呼吸器のことや入院に必要なものなどをお聞きする。ただ、散髪や入浴については悲観的な答え。
もちろんそれは二次的なもので、構わない旨回答。
とにかく入院の意思ありだ。
今日までお袋とも何度か話をするが、まずは入院してみて様子を見るという方法で納得。
結局5月連休明けの7日、8日、9日のいずれか都合のいい日を病院側で決めて連絡をもらうことに。何となく肩の荷が下りた気になって病院を辞する。

 

 

 

平成15年5月1日(木)
TK病院からの回答は30日には来ず、今日連絡がなければ催促しようと思っていた。
福祉タクシーのチケットをもらいに午後役所へ。その帰り、携帯が鳴り出す。
TK病院の染井さんから。回答は実に驚くべきものだった。
やはり入院をお断りするというもの。今になって・・・。すでに入院の日取りまで決めたというのに。散髪がどうの、入浴がどうの、色々言っていたが結局医師の手が回らないためという返事だった。
理由にもなっていない。医師と何の連絡も取っていなかったんではないかと想像される。
KKからの紹介状を得て、はじめて医師と相談した結果、「そんなの診られないよ。」ということか。手が回らないといって、一日一回の回診はあるんでしょうと問いただせば、何回かは言えないとの答え。どうなってるんだ?今までさんざ親身に話を聞いてくれていたはずの人が、木で鼻を括ったようだ。
それでも、この時期に来ての断りは甚だ迷惑ということを言うと、謝っておられたが・・・。
私自身もさることながら、母の落胆も大きい。
とりあえずホッと、というところだっただけに憤りを感じる。
憤懣やるかたない気持ちを、アドバイスをいただいた各氏に送る。最悪だ。

 

 

 

平成15年5月16日(金)
私鉄電車でNTへ。駅前のタクシーで病院までは十数分ほど。
市営公園の隣という立地で、前面には水田があった。ヒバリの声が聞こえる。
NT病院は工事中だった。
TK病院のショックから気を取り直して、いくつかの病院へ電話をした中で面接してもらえることになった病院だ。
現在同系のTR病院を隣接地に建設し、全体を一つの病院として機能させる工事中とのこと。
7月には新設備での運営となる。
10時半、ケースワーカーの高島さんを訪ねる。基本的な質問事項。
期限を定めない無期限入院ということで、理解。続いて11時から、医師を交えての面接に。
同世代か少し下あたりの医師。物事をはっきり言うタイプのようで、好感が持てる。
緊急事態の場合、どこまで延命措置を施せばいいのか、家族で考えておいて欲しいとのこと。
自宅から病院まで1時間程度として、そこまででいいのか。
あるいは、出来ることはすべてになるのか。
病院としては何時間にも渡って心臓マッサージなど行えないし、それが納得できなければ受け入れられないとのこと。
また、人工呼吸器をどうするかについても要相談。
FC社とはこの病院はうまくいってないようで、別機を用意したいようだった。
ただ、散歩などを要望するのなら携帯タイプの現行機が望ましい。
呼吸器は相性があり、自分としては1年半使った今の機械がいいが・・・、任せる、と答える。
1時間ほどの面接の結果、受け入れを受諾。工事が完了する7月1週をめどに入院可能。
6月初旬に体制が整うので、ケースワーカーから連絡をもらうことに。
7月1週に見学を経て、入院の段取り。新品の病室になる。
6月にショートステイに入れれば、KKから転院も。
どうしてももう我慢が出来ないようなら、受け入れるがケア体制が万全でないと率直な意見。
緊急時にはそのまま入院でも構わないとのことだったが、
その際はKKが受け入れを約束してくれているので大丈夫と答える。
神経内科の専門医はいない。脳外科の医者は通い、とのこと。
なお、方針転換に伴い以前に約束したことを白紙に戻すこともある、というのは意味不明。
出来ることは少ないが、なるべく現状を維持し、快適に過ごせるようにする、と。
肝心の金銭の話が出なかったのが少々不安。が、もはやここしかないだろう。
NTなら地理的にも近い。決めるつもり。残り、1ヶ月半。
なお、他へは無理やり入院を頼んで入れてもらったとして欲しいと言われた。
すでに呼吸器を付けた患者が3人おり、次々に来られてはパンクするからとのこと。

 

 

 

平成15年5月29日(木)
夕方家から電話。親父が熱を出しているとのこと。
まだ7度5分程度だが、苦しそうにしているとのこと。酸素の流量を増やして、薬を飲ませるように指示。
夜、家に電話すると体温は38度6分で、サーチレーションは85しかないとのこと。
急いで帰ることに。身体は熱く、呼吸も苦しそう。サーチレーションは89程度しかない。
部屋を涼しくして、水分を補給。アンビューバックを使い、何度かの吸引を繰り返すうち体温は36度5分。
サーチレーションは93まで回復。
痰が乾いてきており、側管もあまり出ない。例の胃腸薬のせいで口が渇くのかもしれない。
明日から以前の薬に戻すことにする。

 

 

 

平成15年6月4日(水)雨
本日午前10時親父KK病院に入院。
お願いの甲斐あって早めのショートステイに。
もっとも昨日の午前中に電話があって、今日なのでいささか苦労したが・・・。
予約が取れず今回から別の会社に搬送を依頼。価格も安く、サービスもよい。
9時過ぎに家を出発し、10時過ぎには到着。道順も裏を行くなど工夫が・・・。
森山さんに再開。病院玄関からアンビューをやりながら病室まで行ってくれる。
芳山先生がすぐに診察。やはりALSの進行は止まらず。
もっとも家にいてもめっきり力が弱くなって身体のあちこちが動かなくなったことは明白だったが。最近の体調不良は気管支炎だろうとのこと。7月2日までの4週間の予定。
雨の中、家に戻ってから部長の親父さんのお通夜に伺う。
部長には出来るだけのことをした方がいい、と言われる。
まだ、喪主はやりたくない。

 

 

 

平成15年6月14日(土)
NT病院へ。ケースワーカー高島さんと打ち合わせ。
今回は事務打ち合わせということで高島さんだけ。新病棟の1階を見せていただく。
明るくきれいな部屋。入院予定の4,5階は4人部屋と1人部屋になるはずとのこと。
7月2週目の入院ということで詰めることに。紹介状を準備し郵送する。
来週に入院の日程を連絡いただけることに。

 

 

 

平成15年6月15日(日)
父の日ということで、今日も親父を訪ねる。
碁もあまり興味を失ったか、3チャンネルの碁の時間も集中できない様子。
家族が訪ねてもにこりともしない。さかんにナースコールが鳴らないと訴える。
昨日もそうだったが、看護婦さんに調整してもらってようやく納得する。
この調子で初めての病院でやっていけるのか、不安である。

 

 

 

平成15年6月19日(木)
9時45分KK病院相談室へ。
事前に連絡をいただいていたものの30分ほど待たされて部屋へ。
次の予約の方も待っており20分ほどで切り上げる。
話題はNT病院だが、川田さん、吉田さんとも知らないとのこと。
ケアに対する要望は入院当日当たりに病棟婦長に文書で渡すのがいいんじゃないかとのこと。
事前にすべてぶつけると嫌がられる。いずれにせよ、17病棟以上の看護は望めない。
前回のお話と同じく、入院して1、2ヶ月様子を見てからケアマネも断る方がいいでしょうとのこと。
最悪帰宅してもケアマネに受けてもらえなくなる可能性があるから。
最後のラジカットについては家族と相談の上ということに。
病室で親父にNTのこと概要を話す。受け入れている様子。
それだけからだが弱っているのが分かるのだろう。透明文字盤を使って少し練習をするが、道は遠い。
クルマがどうしたと筆談。車椅子に乗ったらしい。
帰り、1階の廊下でいつものリハビリの寄田先生に会う。
車椅子に座ってるんですよ、という話。本人もやる気で、長い時は30分ほども座っていたらしい。
ただ、皮膚が弱く腕にすぐ血が滲むとのこと。
森山婦長には結局お会いできず。

 

 

 

平成15年6月24日(火)
本日よりラジカットを始める。4回目?いや5回目か。
効果の可能性はきわめて薄いと思われるが、すでに右手も動かなくなりつつあり、効果に期待することに。
右手指がもっと動けば、ナースコールボタンも押せて、その分気も楽になるはず。
今はタッチセンサー式のコールボタン。触れる位置ばかり気にしている。
7月8日を退院予定に想定。
NTからはまだ入院予定の連絡はない。

 

 

 

平成15年6月28日(土)雨
昼前にお袋を乗せて、針尾クリニックへ。
退院の予定とNTへの入院を伝える。
当面1,2ヶ月の短期入院とし、家庭へ戻る際には引き続き家庭医をお願いする。
また、呼吸器の変更についても連絡。
これ以前電話でYS訪問看護ステーションの遠井さんにも連絡をする。
本日半ドンのため、電話連絡で済ませることに。一旦退院するので今まで通り訪問を要請。
長期療養を要請しているが、とりあえず1,2ヶ月の短期しか認めてもらっていないことに。
嘘をついたことになりもうしわけないんだが、実際この間にNT病院の看護体制を見極めて、
ダメならば家に戻ることにするつもりなのだ。
戻った時に自宅療養体制が残されていないと困るのだ。
その後、KK病院へ。今週火曜から熱を出す。
そのせいか先週見舞った時と比べて元気がない。予定していた散髪も延期に。