闘病日記 平成15年7月〜12月

平成15年7月3日(木)
午後よりKK病院へ行く。
親父、先週末以来比較的元気に。今日は延ばし延ばしになっていた散髪をしてもらえることに。
何か用がないか聞くと、床屋の金を心配。帰りがけに先払いしていく旨伝える。
退院は来週。NT病院からは相変わらず何の音沙汰もないので、こちらから電話を入れる。
月曜日に書き留め速達で送った紹介状などの書類は届いており、これを元に調整するとのこと。
今週末か来週初めに連絡できるとの返事。期待していいのか。

 

 

 

平成15年7月8日(火)曇時々雨
退院。午前9時に由佳里と一緒に病院に。
週末におおかた荷物は運び出しているので、順調に片づく。
精算は今回も全額特定疾患にて賄う。支払額ゼロ円。
この援助はありがたいが、やはり治すすべを。
10時前、救急搬送自動車が到着。またFC石田さんも到着。救急搬送自動車はサービスよく吸引機や鞄に詰めた荷物などを運んでくれた。1階まで森山婦長さんがお見送りに。今回でKK病院も最後のはず。森山さんともこれきりかも知れない。
10時にクルマは出発し、裏道を走る。が、途中渋滞に遭い到着は11時15分頃に。車内では親父はすましており吸引の必要もなかった。
石田さんも自宅まで来ていただき、人工呼吸器のチェック。
12時には再び自宅ベッドに落ち着く。
その後自分は出勤。
夕方来訪したコムスンに対し、不手際に怒ったとのこと。
「カエレ」と書いたよう。酸素飽和度98。状態が良く元気な分、色々と注文が多い。
お袋の腰が非常に痛いとのこと、UCの影響でなければいいが。
NT病院からは依然連絡なし。

 

 

 

平成15年7月10日(木)
NT病院高橋さんと電話で話をする。しびれを切らしての電話。
人工呼吸器のメーカーから納品が遅れており連絡できなかったとのこと。
どうやらドタキャンされるわけではなさそう。
来週金曜日11時の入院で約束をする。あと、1週間。それであれば、
針尾医師の往診を頼む必要もなし。
痰も透明できれい。熱もなく、酸素飽和度も95以上をキープしている。
日中はおとなしくテレビを見ている。

 

 

 

平成15年7月18日(金)
時間のたつのは早い。とうとう出発の日が来た。今回はA寝台自動車に搬送を頼む。
NT病院を知っていることと、人工呼吸器をストレッチャーに積めるのがメリットが高い。
救急搬送との価格の比較でも圧倒的に安かった。
午前9時車到着。インターチェンジから高速道路へ。目的のインターまでは30分ほどである。
10時半には病院玄関前に着いていた。待つことしばらく、ちょっとおかしな看護婦が2名出迎えに。変な髪飾りを付けた、一見女子高生風の子たち。寝台車を出て、院内に。まず3階に寄ってレントゲンを撮る。
それから病室へ。A寝台の2名も新館は初めてということで、新しい建物内部に感心する。
部屋は6005、ウォシュレット付きトイレ、シャワー室を備え、テレビ、冷蔵庫、電話付きの真新しい部屋である。
自分もここを見るのは初めて。人工呼吸器もすぐにこちらの機械に替えられ、ベッドに落ち着く。問題はソフトだ。これから1ヶ月くらいをかけて看護の状況を観察することに。持参した手みやげを渡すタイミングをなくす。

 

 

 

平成15年7月19日(土)
はじめてお袋と由佳里をNT病院へ連れて行く。クルマで1時間足らず。KKへ行くのと時間的には大差ない。が、距離は数倍。これがあの野戦病院のようなSSに連れて行くのでなく良かったと思う。部屋はKKに比べて少々狭いが、清潔で明るい。これなら、許せるかという感じ。しかし、永年親しんだKKと比べれば不満な点も多いはず。まずはここの看護婦さんたちと仲良くなって貰いたいもの。面会時間が3時からなのが、少々きつい。
自宅へ戻ったのが6時半だった。

 

 

 

平成15年7月21日(月)
連休。今日も病院へ。3日連続でやや慣れた感じで、病室へ。
親父、水枕をしており目をつむって起きない。かろうじて「話をすると疲れる」と字を書く。
その後も眠ってばかりで、昨日から熱を出したらしい。家にいた後半では青い痰が出ていたようだが、はやくも気管支に炎症か。入院時の西条医師からのインフォームドコンセントで、
おそらく肺炎で命を落とすだろうと指摘を受けていることで、非常に心配になる。
KKでは熱を出していてもさして不安にはならなかったが、今度は違う。親父同様こっちも慣れていないのだ。大丈夫だろうかという気持ちのまま病院を後にする。

 

 

 

平成15年7月23日(水)
お袋が初めて電車でNT病院へ行く。私鉄電車NT行き急行で約30分。
駅前からタクシーで10分ほどである。
親父は足から点滴を受けていたよう。熱は一応下がったらしく、しきりに文字を書く。
ただ、面会時間外ということですぐに帰ることに。どうもこの病院は規則に厳しいようだ。
もっとも面会時間の件は個室利用者は構わない旨但し書きがしてあり、看護婦側の言い分がおかしい。けんかしても始まらないので、とにかく今は従順に従うのみ。慣れたところで色々注文をしようと思う。
とりあえず親父がテレビを見られるようにベッドをまたぐテーブルが欲しいのだが・・・。

 

 

 

平成15年8月9日(土)台風
台風10号が日本列島を縦断する中、NT病院へ。出発は午後2時前だったが、一番酷い降りの状態。高速道路の視界の悪い中を一路NTへ。
親父はまた水枕をしている。どうも微熱が出ることが多いらしく、やはり胸がきれいにならないのか。毎日レントゲンを撮っているらしい。(ほんとうかどうか)
それでも、結構元気に色々と字を書く。今日はリハビリの天野さんと面会。厳しい家庭での介護を説明し、病院に任せる気になったいきさつを話したりする。目標としてはショートステイ時にKKでしていたように車椅子に座ること。そうなると痰も出やすくなって、いい方向に回転し出すのだが・・・。
今のままではいつか肺炎を起こすんじゃないかと心配だ。

 

 

 

平成15年8月11日(月)
午後5時、YS訪問看護ステーションを訪ねる。長い間の看護に謝辞を言うため。
遠井さんと最近の親父の様子など話をし、今までやってこれたのも遠井さんや松田さんのおかげと話す。
母からもよろしくと伝える。NT病院のレベルの低い看護婦について、遠井さん曰く、
優しい看護婦ならどんどん介護のやり方を覚えていくから、今にうまくなります、と。
思えば、ここを訪ねて現状を説明しケアマネを引き受けて貰ったのが一昨年の暮れ。
それからバタバタと自宅介護の体制を整えたのだった。月日の立つのは早いのか、遅いのか。よく分からない。

 

 

 

平成15年8月13日(水)曇りのち雨
午後1時半、お袋と二人でNTへ向けて出発する。来週で入院1ヶ月になるため、
医者と話をする予約を取ってあったもの。どうせ、ろくな話にはなるまいという予感があった。
どう見ても元気そうとは言い難かったから・・・。
NT病院ではグループ担当制(曜日担当制)を採っており基本的に主治医は形式に過ぎない。
今日は水曜日と金曜日を担当し、なおかつ形式上の主治医となっている平塚医師に面会する。
平塚医師は非常勤ではあるが、入院当初より親父を担当している。
7月入院直後から右下肺に肺炎の兆候が現れ、炎症反応が20まで上がったが、
抗生剤の投与で治まり、現在は特に問題のない状態とのこと。今日の段階で0.3にまで下がっている。
酸素濃度も良好であり、腎臓・肝臓等にも異常はないそう。特にといえば、足指・手指に白癬菌(水虫)の感染があったが、塗り薬でほぼ全快とのこと。
肺炎を起こさせない看護をお願いする。吸引にしろ体位変換にしろ末端まで理解されているか
どうかはともかく体制はしっかり整っているように感じる。心臓に貼るフランドルテープについても、胸の痛みを訴えることも承知の上で必要なしと判断しているとのこと。しっかりKK病院からのサマリーを理解して治療に当たっていることが分かりホッとする。すでに自宅介護の体制は解除してしまったものの、これなら任せていいんじゃないかと思った。

 

平成15年8月24日(日)
NT病院へ。今日は楽しみにしている碁の番組がある日なので、午前中に家を出る。
快調に車をとばして12時前に病院に。面会時間の12時に部屋に上がるとすでに
テレビが準備されており、碁を見る体制に。先週も同様だったが、気を使ってくれており、
ありがたい。しかしながら、痰がでて吸引が必要にもかかわらずナースコールに反応せず、
呼吸器アラームまで鳴り出しても誰も来ない。気管吸引は看護婦に任せるようにとの指示だったが、やむを得ず自分で吸引する。1年半もやってきた吸引、何の心配もない。要はこの病院での手順だけ。
体調は悪くはなさそうだが、相変わらず仏頂面で文句ばかり言っている。やれ、肩が痛い、
枕の位置が悪い、ベッドの高さが低いなど、今日は座位にてテレビを見たが、家にいる時と同様
唾液が多く出ていた。番組視聴中に数度の吸引。
3時、病院を後にする。
お袋は3時間の見舞いで疲れてしまい、その後外出もせず。甲状腺のこともあり、不安だ。
何もなければいいが・・・。単なる体力低下は年齢で仕方ない、病気でないことを祈る。
長期入院できたことに感謝せねばならない。
GT神経内科病院のケースワーカーに連絡をとるつもり。相談に乗ってくれた御礼を。

 

 

 

平成15年9月10日(水)
お袋が一人でNTへ。
かなり具合が悪いらしい。熱はなかったようだが、それでも6度6分。
自宅ではそろそろ危ない体温だ。痰が出ないらしい。血中酸素が92。
人工呼吸器がはずれてもいないのに警報を鳴らす。まあ、そういうことは過去において
自宅でもあったが、今回は血圧が高止まりしていることや総合的な体力の衰えを考えると、
危険な状態かも知れない。さすがに大好きなリハビリも中止に。ほとんど目を開けず、
何も要求しなかったらしい。帰り、人様に駅まで送っていただく。満員電車でも席を譲って貰ったとか・・・。
ところで、明日はお袋の甲状腺検査の結果。甲状腺の瘤が悪性だったらどうしようか・・・。
癌ですでに転移していたら・・、そんなことを考えてしまうと疲れると言ったら、
自分が胃カメラやって組織検査した時も大変心配したと。
もちろんそれはそうなんだろうけど、親父のことがあるので尚更なのだ。

 

 

 

平成15年9月15日(月)
結局13日(土)からの3連休は毎日病院へ。お袋と由佳里が14日にお休みし、
自分は3日連続で見舞いに。先週の日曜日に見舞った折りにやや体調を崩し気味で、
水曜日お袋が一人で行った時にはかなり悪い状態だった。土曜はまあまあという感じで
リハビリの村上さんの話に頷くのが楽しそうだった。が、熱は相変わらず7度ちょっとあり、
疲れた様子。14日に一人で行った時は、囲碁の番組を見せに行ったわけだが、
見終わると苦しいと言いだして、なかなか帰れず。熱もあり、アンビューバックを2回やって
落ち着いた様子。抗生物質の投与を先々週から続けており、それでも炎症は治まらないらしい。
今日は比較的顔色も良く、気分も良さそうだったが、元気がない。テレビも見たくないし、
家族と話しもしない。熱は6度8分と、まだちょっと高め。血圧が上が135で正常だが下が98と高い。
血中酸素濃飽和度は95でまあまあ。
今日は1時間ほどで病院を後にする。毎日NTまでクルマを走らせるのはさすがに疲れる。
なんとか炎症が治まってもらいたいもの。
血圧が高く、肺炎が治らなければ何が起こっても不思議はなく、心配だ。
単語の文字盤を作って持ち込む。

 

 

 

平成15年9月27日(土)
先週から私の腹の具合が悪く、病院へ見舞いに行くのは2週間ぶり。
まあまあ、比較的元気な様子。ただし、抗生物質の投与は続けられているようで、
依然肺の陰が消えないと思われる。医師と話をしなくてはいけないが、
自分の体調や期末の状況もあり前回のインフォームドコンセントから1ヶ月半が過ぎてしまった。
先々週一人で行った時に、アンビューバックを使うように言われたが、
それ以来家族が行くとアンビューバックをやれと言う。
自宅では毎日やるようにしていたが、急に思いついたのか、なぞ。
ただ、アンビューバックは肺を膨らませ、息苦しさを緩和する効用がある。
また、痰が出やすくなり、肺炎予防に効果的とKK病院リハビリの寄田先生に教えられた。

 

 

 

平成15年10月8日(水)
休暇を取り、役所へ。帰った後、NT病院へ。親父は比較的元気な様子。
しかしテレビも見ず、身体が動かなくなってきているのかもしれない。
村上さん、天野さんと2人続けてリハビリに。
疲れてしまうんじゃないかと思いつつも、親父、二人とも好きらしい。
5時前に病院を出る。

 

 

 

平成15年10月11日(土)
3時より櫻田医師と面談。現在の状況としては2ヶ月前と大きく変化はないとのこと。
この間2度ほど軽い肺炎を併発し、抗生剤で快癒。
が、肺炎のみならず尿路感染など様々な感染症の危険があることに変わりなし、とのこと。
訴えられるリスクの回避として書面の上サインを求めてくる。
今回は看護婦のスキルの問題として、胃婁時の注意、
気切部衛生管理の注意、吸引時の注意など、医師から看護婦に徹底させるように求めた。
改善されなければ次回こちらも書面で渡すつもり。それがこちらのリスク回避だ。
親父は比較的快適そうで、カエレとの言葉に従って5時頃病院を出る。

 

 

 

平成15年10月15日(水)
お袋が一人でNTへ見舞いに行く。
熱38度4分を出したということで、点滴。
更に心電図、尿器を取り付けられていたとのこと。
単なる肺炎ではなく、他の感染症か。
先週末まではいたって調子が良さそうだったが、一転不安に。

 

 

 

平成15年10月17日(金)
お袋再び一人でNTへ行く。
インフォームドコンセント用紙を持ち帰る。イレウスが起きたという。
麻痺性イレウスということで、機械性イレウスでないことを証明するために
大腸内視鏡検査を薦めるという趣旨。ALSとは関係ないということで、いまさら大腸癌など・・・。
ただ、親父が癌というのは考えにくく、とにかく医者と話をすることに。

 

 

 

平成15年10月18日(土)
出勤日だったが、休み時間にNT病院へ電話。今日の約束を取り付ける。
とにかく医者と話をすること、大腸検査はあまりしたくないことを説明したい。
午後2時に帰宅。すぐに揃ってNTへ。
親父は意外に元気そう。栄養剤を点滴で打たれており、リキッドはなし。
しかし、熱はなさそうで、テレビを見ている。
西条医師が対応。話を聞く。今週木曜日にイレウスを発症。しかし、今日にはかなり改善したとのこと。
このことからもおそらく麻痺性イレウスに間違いなく、癌である可能性は薄いとの見解。
ただ、完全否定は出来ず、検査するのも悪くはないとのこと。
あまり検査には乗り気でないこと、癌である可能性はほとんど無いんじゃないか、
など話をした結果、しばらく様子を見ることに。このままイレウスが治れば癌である可能性はほとんどなし。
再び起これば、その時はもう一度話をしましょうということになった。
炎症反応も出ているそうで、肺炎の一歩手前でもあるらしい。
親父にLLBeanで手に入れたフリースの毛布を持って行く。
いくら暑がりとはいえ浴衣にタオル一枚をかけただけで、空調が効いているとはいいながら寒いのではないか、と思ってのこと。
重い布団を掛けるのを嫌がるので、たまたま通販で見つけたこれを買い込んだ。
暖かいわりに軽く、親父も気に入った様子。

 

 

 

平成15年10月26日(日)
昨日に続いて、NT病院へ。
昨日は顔は赤く、いかにも怠そうな様子。
肺炎の前兆かも知れないと思って帰ったが、今日は比較的安定しているようにみえる。
12時過ぎに到着、テレビを準備する。2時まで囲碁の選手権を見ている。
イレウスはまだ治ってはいない。栄養剤とリキッドと半々程度。
が、腹については何も訴えかけはないよう。このまま治ればいいが・・・。
帰りがけセンサー式ナースコールがまたも故障。明日修理に出すとのこと。
2時半、早々に帰る。

 

 

 

平成15年11月9日(日)曇り時々雨
衆議院選挙の投票日。親父には全く関係なし。そんなことに気は回るのか否か、不明。
あいかわらず、つまらないことばかりを指摘。
テレビのカードがない(まあ、重要な問題だとは思うが。)、コールボタンが押せない、等々。
先週水曜日にお袋が来てから、比較的体調は良好な様子。
肺炎の兆候も消え、イレウスも治った様子だ。昨日、今日と熱もなく、安定している。
リハビリの天野さん、村上さんをすっかり気に入ってしまったようで、
お袋にも「天野さんが来ることになっている」などとさかんに伝える。
どういう心境なのか、皆目見当が付かない。
それは、若い女性はいいけど、ね。二人とも魅力的ではある。

 

 

 

平成15年11月22日(土)晴れ
医師と面談。今回は櫻田医師。イレウスは治癒したとのこと。
下剤を使っての治療で、その後一時下痢が続いたがすでに元に戻ったとのことだった。
また、血圧・血中酸素濃度など11月に入ってから安定しており、肺炎の兆候も今はないとのこと。ALSについては進行しているようにみられる。手指や足、顔の筋肉など動きが悪くなったような気がする。
相変わらず愛想は悪く、ほとんど何も話さず。

 

 

 

平成15年11月23日(月)曇り
一人でNT病院へ行く。病室ではラジオのイヤホンを付けてぽつんとしていた。
テレビを点けて、駅伝を見せてやる。例年の国際駅伝。
文字盤を要求、足の位置を直せ、腹が痒い、腕が痒い、と要求を。
体温は36度8分とやや高めだが、顔色は悪くない。
院内は暖房が聞いており、毛布も掛けていたので、そのせいかもしれない。4時には帰路へ。
コンピュータを使ったコミュニケーション装置の選定にはいる。何か手に入れようと思うが・・・。

 

 

 

平成15年11月29日(土)
今週水曜日にお袋が訪ねた折りには熱を出していたとのことで、心配していったが案の定高熱が続いている状態。
今日撮影したレントゲンでは肺炎の兆候はなく、尿路感染ではないかとの看護婦の話。
本日から抗生物質の投与を開始するとのことでアレルギーテストをする。
結局6時半までいて、帰路に着く。

 

 

 

平成15年12月1日(日)
いよいよ12月。今年も後1ヶ月を残すのみとなった。病室のカレンダーも最後の一枚に。
昼頃病院に着くとすでにテレビが準備されており、囲碁を見ている。
かなり上体を起こした状態で、それでも熱心に見入っていた。
しかし、番組が終わってからの検温では37度5分とやはり熱がある。
さかんにアンビューバックを使うように要求。息苦しいのは熱のせいだと思われる。
感染症の王者ともいうべき尿路感染は、きわめて感染確率の高い感染症らしい。
尿器をイレウス以降付けっぱなしにしているのが良くないのでは、とも思う。
腎臓や他の臓器に影響がなければいいが。

 

 

 

平成15年12月10日(水)
休暇を取って母とNT病院へ。
お袋が、膝が痛い、足が痛い、その上状態がフラフラするというので休みを取った次第。
病院に着くと親父はテレビを見ており、やや赤い顔。が、窓を開け、団扇であおいだりするうち顔色も戻る。
部屋が暑かったせいか。熱は不明。
ただ、尿器の尿の色がどす黒く明らかに腎臓病の尿のようだ。
やはり尿路感染が腎臓に影響を及ぼしているのか、先週末よりの手足のむくみも引いていない。
文字盤を使ってあれこれ要求をしてくるので、気分はさほど悪くはない様子。
コンピュータを使った意思伝達装置については期待を持っているようで、指はまだ動くと言う。
土曜日に医者と面談する予定なので、その時にHeartyLadderというソフトを説明することに。
もっとも、ソフトよりもパソコンの大きさが問題か。また、適切なスイッチが手に入っていない。

 

 

 

平成15年12月13日(土)
Gatewayとフランスベッドメディカルからレンタルしたサイドテーブルを積んでNT病院へ。
まずは櫻田医師と面談。尿路感染は治まりつつあるそうで、炎症反応は2.7まで快復とのこと。
が、かなり手強い感染症だったらしく今しばらく抗生物質を投与し、炎症反応が通常に戻るのを確認するとのことだった。
尿も今は出ており、腎臓・肝臓等の機能に障害はない模様。肺もきれいであり、むしろ腸にガスが溜まっているらしい。
排泄のコントロールが出来たところで尿器をはずす計画という。とりあえず、ほっとする。
腎臓がやられてしまったのではないかと、心配だったがとりあえずそこまではないようだ。
リハビリの村上さん、言語療法の古清水さん、さらに看護婦さん立ち会いの下、意思伝達装置HeartyLadderを試す。
親父に自在に操ることなど無理だとは思いつつ、やはり意思の伝達は切実であり、練習させることに。

 

 

 

平成15年12月26日(金)
仕事納め。
例年と違い暦の関係から早い仕舞いに。
課員と打ち上げ。
お袋が一人で病院へ見舞いに行く。23日に行ったものの、3日空いたから。
3日前も今ひとつ体調が悪そうだったが、今朝39度以上の高熱を出したそう。
ようやく37度代まで下がるものの、苦しそうとのこと。
呼吸が苦しいらしく、アンビューバックを要求。
高熱といい、肺炎ではないかと思われる。
ようやく尿路感染が治ったと思えば・・・というところで、安定しない。

 

 

 

平成15年12月27日(土)
揃ってNT病院へ行く。寒気に口を震わせており、熱が39度を超えていた。
病院から羽毛布団を借り受ける。リハビリの村上さんがみえるが熱のためリハビリは中止。
親父としてはリハビリをやりたそうだったが、ちょっと無理。村上さんは今年はこれで終了で、田舎に帰るそう。
ようやく震えは治まるものの、熱は38度代。明日レントゲンと血液検査をするという。
が、夕方にはテレビの釣り番組を見たいと言う。6時頃帰る。

 

 

 

平成15年12月28日(日)
相変わらず熱も高く、明らかに具合が悪そうだ。尿器の尿の色もまた濃く濁りだしており量も少ない。
看護婦からの連絡で平塚医師が来る。採血に看護婦が一苦労し、血液を培養に。
レントゲンの結果では小さな肺炎が前回よりそのまま残っており、これが原因の発熱の可能性があるとのこと。ただ、肺炎はあまり悪くなっているとは思えず、別の原因がある可能性もあるという。実際肺炎の抗生物質は最初指示の半分に訂正。尿路感染がぶり返したのか、あるいは新たな感染か。熱が高いこともあり、血液の感染も考えられる。(敗血症)とにかく血液は培養検査に回し、肺炎の抗生物質を投与して様子を見るとのことだった。かなり不安。もし敗血症なら、危ないと言っていい。腎臓などの可能性もあり、非常に心配である。

 

 

 

平成15年12月30日(火)
連日病院へ。昨日に比べると穏やかな感じ。
ただ、ずっと眠っており、これは以前にもあったが炎症反応が大きい証拠だと思う。
身体の中で侵入した感染菌と抗生物質の戦いが繰り広げられているんだろう。
負けるんじゃない。2004年も生き延びるんだ。