闘病日記 平成16年4月〜6月

平成16年4月4日(日)
小雨模様の肌寒い中、NTへ向かう。昨日は体温37度の微熱だったが、比較的良好の様子。
今日はどうなのか。一日ごとに違う体調に一喜一憂。
今日は体調もいいのか、NHK教育テレビの囲碁の時間を見ると自分から言う。
結局最後までしっかり見ていた。やはり体調によって集中していることも出来るようだ。
このような状態で長く続けばいいが、次に敗血症を起こした時が心配。
3時前、帰ろうとすると嫌がる。ラジオと肩が痛いことを訴える。
寂しいから帰るな、といわれると辛いし、これはこれでいいかと思う。
今日の体温は36度8分。尿の色もよく、通じもあったよう。

 

 

 

平成16年4月6日(火)
夕方から仕事を抜け出してNTへ向かう。
会社では昇格し、立場上なかなか抜け出せなくなる可能性も。出来る限りやろう。
親父は比較的調子良さそうで、1時間ほど居る間に色々話をする。
帰り際に息苦しいと訴える。アンビューバッグを使う。
7時面会時間終了を告げると頷いた。

 

 

 

平成16年4月10日(土)
病院のエレベーターで村上さんに会う。
午前中熱を出していたよう。38度5分とかで、額に玉の汗をかいていたとか。
火曜のまま安定していればという期待は裏切られ、相変わらず不安定な様子。
しかも、38度代の高熱が出ているところから感染症の疑いが高い。
次に敗血症になったら・・・、もはや逃げ道はないのか。
病室の親父は反応鈍く、居眠りしていることが多い。
が、テレビでJリーグの試合を見せると見入っていた。夕方の検温では36度6分。
酸素飽和度は97。血圧がやや低いものの、まあいい方か。

 

 

 

平成16年4月11日(日)
またしても熱が出る。37度5分。
結局見始めた碁の番組も途中でやめてしまう。後は眠り込んでばかり。
意思伝達装置のパソコンとテーブルはトイレの中に格納する。
持って帰るには、諦めたようで抵抗が、しかし使わない物を置いておくのは邪魔で部屋がよけい狭くなるため。

 

 

 

平成16年4月18日(日)
昨日は研修のため病院へはお袋と由佳里で。寝てるだけで、全く起きなかったという。

今日3人で病院へ行くも、やはり同じ状態だった。昏睡状態のようだ。
声を掛けても叩いても、なんとしても起きようとしない。
昨日の話では脱水症状を起こしているとかで、今日もブトウ等電解液を点滴中だった。
碁も点けてはみたが見ることはなく、眠っているだけ。
が、看護婦さんが検温に来て吸引・体位変換の際にようやく少し目を開ける。但し反応はない。
体温37度。血圧106-62。吸引中苦しそうにしていたが、再び眠りへ。結局3時で引き上げる。
もうどうにもならないのか。このまま、眠ったまま逝ってしまうのか。絶望的な気持ちになる。
親父の丹精した盆栽もほんの数鉢しか生き残っていない。水をやる。

 

 

 

平成16年4月20日(火)
先週見舞った時には結局ほとんど目覚めなかった。ただ眠りこけている。
やはりただごとではあるまい。結局月曜は面談の時間が取れず、今日病院へ電話を入れる。
土曜日の約束を入れようとしていたところ、突然電話を先生に代わるという。
西条先生が電話口に、先週来の親父の様子を聞く。
代謝性アシドーシスという血液が酸性に偏っている状態だという。
pH値が7.1まで下がっており、7を切ると死ぬという。西条先生らしい口調。
これは腎臓や肝臓など内臓が弱っているのが原因とのこと。
尿は出ているものの、出ているのは水分ばかりで老廃物が排泄されていないらしい。
だから脱水症状となる。多臓器不全の一歩手前といった症状。
最善は尽くすが急変する可能性はありますということだった。つまり危篤状態といってもいい様子。ついに来るべき時が来たのかも知れない。
思えば、人工呼吸器を付けてから普通どれほど生きられるのかという問いかけに対して、
KK病院の芳山医長は2~3年が限界でしょうと答えた。
すでに気管切開から2年半が経過している。親父も疲れただろうと思う。
でも、あとしばらく生きていてほしい。あとしばらく。とにかく1日でも長く。
電話で内容をお袋に伝える。夕方4時過ぎ。お袋はすぐにNTへ行く。
親父は目を開けており見て分かったような気がする、と言っていた。

 

 

 

平成16年4月21日(水)
昼頃NT病院より携帯に電話有り。
貧血状態が進んでおり、このままでは危険な状態とのこと。櫻田先生が電話口に出る。
輸血をしたいが同意書が欲しいということだった。
もともと今日は夕方の仕事の約束がないので病院へ行く予定だった。6時前に伺うと伝えて電話を切る。
3時半頃会社を出てNTへ。病院着5時40分頃。
書面に依れば、恐らくは大腸癌などの理由により出血、極度の貧血状態となっているとのこと。
ヘモグロビン量が5.3まで落ちており危険だという。
昨日の代謝性アシドーシスとどう関連するのかいまいち理解不能。
とにかく内臓諸器官が弱っており、対処で改善を図るしかない。
もちろん延命措置に過ぎず。同意書にサインをする。
親父は先週末から比較するとやや快復。意識レベルも上がっているとのこと。
いくつかの質問に頷くことが出来た。
昨日お袋が夜来たことを確認すると頷いた、リハビリの村上さんが来たことも肯定。
血液製剤で改善を図っている様子。血清アルブミン、ドーパミンなどの薬剤が親父に繋がれていた。
気管切開後2年半。さすがに疲れたのだろう。私の我が儘で無理を強いてしまったのか、
が、やはりあの時人工呼吸器装着をしないという選択はなかったと思う。
親父が死にたいと一度も言わないことこそ、判断の正しさを証明していると信じたい。
再び眠りに落ちた親父に、またな、と言って病院を出る。

 

 

 

平成16年4月22日(木)
お袋、一人でNT病院へ行く。
親父相変わらずの様子。輸血はまだ始まっていなかったよう。
今日と明日、2日間輸血を行う。
所詮一時しのぎではあろうが、意識レベルの向上が期待できる。
その上で、今生の別れか。

 

 

 

平成16年4月24日(土)
幾ばくかの期待を持ってNT病院へ。
が、親父の様子はさほど変化ない。
もちろん先週の状態から比べれば意識レベルは向上しており、
いくつかの問いかけには反応したものの、相変わらず眠ってしまう。
看護婦の話では午前中は起きていたけど、ということで午後は眠っている時間が長い。
結局テレビも見ようとせず。血を入れ替えてもこのレベルでは、もとの状態に戻らないのではないか。となれば、やがて多臓器不全か。アルブミンの投与はなく、ドパミンだけ。あとはリンゲル液。リキッドはない。

 

 

 

平成16年4月25日(日)
昨日よりはやや反応がいい。
ベッドの高さや、カニューレの痛さを指摘し、文字盤を使ってアンビューバッグを要求する。
が、テレビを見たいとは言わず。ラジカセで3チャンネルを受信、補聴器で聞かせてみるが、
体位変換やらおむつ交換やら忙しく、聞いてはいられなかった感じ。
輸血によってやや体調が改善、意識レベルが上がるものの、治療できているわけではなく、
やがてもとの状態に逆戻りのはずだ。
やはり大腸に癌があるのか、潜血検査を先週やっているはずで、来週には分かるはず。
ちゃんと言葉が理解できて意思の疎通が図れる最後になるのか。熱はなし、血中酸素も97。
しかし、夕方になって寒いと震え出す。歯の根が合わない状態になる。
毛布のみならず、羽布団も掛けても寒がる。その間も胃婁の清掃やら、体位変換やら忙しく休む間もなし。
ようやく震えがおさまり眠りだしたところで帰ることに。午後5時。
お袋が帰る旨告げると頷くので、帰宅。
これが今生?親父にはまだ何とか生きて欲しい・・・。

 

 

平成16年4月29日(木)
一昨日お袋が一人でNT病院へ行った時には、親父はかなりいい状態だったようだ。
眠ることなく色々と話にも耳を傾けていたとか。先週末に病院の窓掃除があった折に部屋の網戸が傾いた。
これを親父が指摘したとか。お袋が病院に言って直して貰ったそうだ。
また、看護婦とお袋が鉄道のことを話すのを聞いてにやにや笑いをしていたとか。
しかし、期待は見事に裏切られた。
揃って病院へ行くと親父は眠っており、たまに目を開けはするものの、はっきりとした意思表示はない。
一度だけ、カレンダーを替えるか聞いたところ頷いた。それで5月に差し替えた。
輸血の効果は薄れ、元の木阿弥ということなのか。血清ドパミン液は中途で止めてあった。
不思議と足がきれいなのに気づく。粉を吹いたようになっていた足の裏がつるりとしている。
右腕の内側手首近くに瘤がある。結局眠ったままの親父を残して5時半病院を出る。がんばれ。

 

 

 

平成16年5月2日(日)
昨日から寒いといって震えている。歯の根が合わないような状態。激しく顎を震わせている。
本当に寒いせいなのか、それともALSによる何らかの症状か。不明。
気分はさほど悪いことはないらしく、結局昨晩も今朝も熱は出していないらしい。
極度に寒がるのはその後高熱を発する前兆と考えられるが、
どうも親父の今回の症状はそうではないような気がする。
囲碁の時間も見る気にはならず。代わりに懐かしのメロディをラジカセで聴かせる。
聞いていたようだが、半分は眠っている。眠っている時は震えが収まる。苦しかったりはしないようだ。
今日はやや熱があり37度ちょうど。しかし、血圧は128-85、血中酸素濃度97。
4時過ぎ帰る旨告げると頷く。
昨日から部屋に可愛い鯉のぼりの工作が飾ってある。
村上さんか天野さんが持ってきてくれたらしい。親父には分からず。

 

 

 

平成16年5月4日(火)
先月29日から30日を挟んでGW中毎日病院へ通う。
やはり休む気になれず、また明日来るというと頷く親父を放ってはおけず。家族もやや疲れ気味。
昨日に比較しても今日はかなり具合が悪そう。あまり反応がない。
結局一時しのぎの輸血と血液製剤、点滴による栄養改善で意識レベルは上がったものの、
再び下降線をたどりだしたのか。自分では見ないと言っていたテレビだが、用意してやると眺めている。
あまり興味深い番組なし。6時にて病院を後にする。

 

 

 

平成16年5月5日(水)
GWもひとまず終わり、親父何とか乗り切る。次の目標は・・・、1日でも長くと願う。
今日の状態は体温36度4分、血圧151-85、酸素飽和度95、と極めて良好。
しかしながら、反応は悪く、顔色も土気色をしている。
夕方からは寒いと言いだし、羽毛布団を掛けることに。
それにしても何故いつもいつも睨み付けるような視線なのだろう。家にいる時からずっとだ。
最近では泣き顔もしなくなり、柔和な顔というのがない。いつも厳しい視線を投げかけている。
ALSによる顔の筋力低下に依るのか、それとも生きることに辛くなってきたというのか。
それでも、テレビを見せるとしばらくサッカーを見る。次は土曜に来る旨告げると頷く。
6Fに葬儀社が来ており、お袋それに気がついてショックを受けた様子。
が、自分はすでに数回そういう場面を見ており、ああいう病院では珍しいことではない。そう慰める。

 

 

 

平成16年5月8日(土)
GW後半から目に見えて親父の具合は悪化の様子。
今日はほとんど無反応、眠っている。
更にお腹が張っているとのこと。以前のように熱が出れば、危ないかも知れない。
やはり大腸癌ということなのか、しかし腹が痛いかとの問いかけには首を横に振っている。
痛くもなく、潜血検査もマイナスが続く癌などあり得るだろうか。
それでも、持参した音楽を少し聴き、途中部屋に来た言語聴覚療法士の加羅さんと会う。
すでにNTへの往復は100回を越えたはず。
いままで事故はなかったが、今日はひやっとすることがあった。
十分車の運転には注意しなくてはならないと反省。
高速ではリアシートでもシートベルトをするようにお袋と由佳里に注意した。

 

 

 

平成16年5月9日(日)
小雨降る中、NT病院へ。
出発が遅れ午後1時頃到着。が、恒例の囲碁の番組を見るなど思いもよらず。
親父ベッドで苦しそうに喘いでいる。眠ったような状態で、口をぱくぱくさせ息苦しい様子。
その後熱が38度1分あることがわかる。血圧上70台、ベッドを倒し足を上げる。
最近血圧が低く、でも降圧剤を使うほどではないとのこと。
状態は悪いながらも安定してきた感があったが・・・という櫻田医師の話。
その後、血圧は65-95まで上昇する。体温は37度9分に。
昨日から尿の出が悪く、利尿剤を使ったとのこと。これが血圧が下がった原因らしい。
結局5時過ぎまで病室に居るも、ほとんど会話にならず、幸い喘ぐような様子はなくなったが、不安だ。
それでも看護婦さんの問いかけには結構答えており、目はつぶっているものの、
眼球を動かしており言うことは聞こえているようだった。
かったるくて返事をするのも億劫といったところか。
排便もあり、お腹も固くはないという看護婦の話。
また消化器管の炎症で敗血症というのが一番怖い。
好きな大相撲が始まったが、テレビどころではなかった。

 

 

 

平成16年5月15日(土)
お袋が11日に見舞って以来。木曜、金曜とお袋の体調が悪いのを理由に見合わさせた。
自分も会議等で抜け出せず。3日空けてしまって、様子はどうか。
親父はほとんど昏睡状態。薄目を開けたように見えるものの、果たして分かっているのかどうか。
熱はないようだったが、連休以来肺炎を起こしているらしい。
一度38度の熱があった時があったが・・・その時か。
肺炎がひどく、十分に酸素が摂取できていない。
あまり熱が上がらなかった為に肺炎を見過ごしていたのか。
酸素飽和度84。さらに血圧が上60と危険な状態。抗生剤で肺炎が治まるか、どうかだ。
いずれにしても、常に危険な状態だったわけで、何を悔やむこともあるいは誰を責めることもない。
ALS-気管切開から、この時は予測が付いていたことだった。よく今まで頑張ったと思う。
が、ここでもう一度肺炎に打ち勝って目を開けて欲しい。7時までいて帰宅。

 

 

 

平成16年5月16日(日)雨
普段より早く10時に出発。
雨の中をNTへ走る。11時到着。親父は目を開けているが、全く見ていない。
全く理解できていない。全く反応がない。
痛ければ顔をゆがめるものの、苦しければ苦しそうにするものの、こちらからの問いかけには全く反応しない。
体温は36度9分と微熱が。血圧はどうだったのか、病院にいる間は計りに来なかった。
5時まで、6時間を病院で過ごした後帰路へ。
なんとか今一度目を開けて欲しい、理解して欲しい、お袋もそう願っている。
肺炎が治まるかどうか、治まらなければ敗血症へ、あるいは血圧降下か。
三度、甦れ。

 

 

 

平成16年5月19日(水)
夕方NT病院へ向かう。
会社を出る時からすでに雨は降り出しており、着いた時には結構降っていた。
親父は眠っていたが、呼びかけると目を覚ます。
目に涙は、苦しくてたまった涙か、うれし涙か。
昨日お袋が一人で来た時には目は見開いていたものの何の反応もなかったという。
今日はちゃんと分かるようだ。昨日おっかさんが来たことを知っているかと問いかけると頷いた。
ラジオで大相撲を聞かせるが、聞こえたかどうか。
その後また眠りに落ちる。ただベッド脇で座っていた。そんなものだろう。
もう一度目を開けて分かって欲しいと言っていたお袋にはうらやましい反応か。
7時だから帰る旨告げると頷いた。また来るな。

 

 

 

平成16年5月23日(日)
親父、体調は悪くはなさそう。熱もなく、血圧も正常な様子。肺炎は治癒したか・・・。
しかし、無表情・問いかけにも答えようとしない。頷くことも出来ないわけではないと思うが・・・。
じっと顔を見つめるばかりで、否でも是でもない。
それでいながら、テレビを点けると結構見ている。
碁も半分居眠りしながらも見ているし、大相撲千秋楽も眺めていたが。
痴呆?分からないのか?意識レベルが低いためか・・・。
寝間着からシーツが水浸しになっていることに気づく。原因は腕からの水漏れか。
看護婦とヘルパー2人で取り替え作業。先頃まで下痢が続いていたらしいが、今は止まったよし。
それにしても点滴だけで生きる日々だ。

 

 

平成16年5月30日(日)
事業部スポーツ祭参加のため午前6時出発。郊外の会社グラウンドへ。
11時半大会を抜け出してNTへ向かう。お袋と由佳里は今日は電車で行っている。
これを迎えに走る。高速が若干混むもののいたって順調。それでも2時間の旅路となる。
親父は比較的状態は良く。特に熱もない様子。
しかし、未だに点滴だけで生活しており重篤であることに代わりはない。

 

 

 

平成16年6月1日(火)
親父の状態を確認したく面談を求めるが予約が取れず。
土曜の面談は医師不足から断っていると先々週より言われている。
今週も無理で、木曜日を指定したが先約有りとのこと。ろくに医者と話が出来ない。
仕事の都合もあるが、もっと気軽に話が出来ないものか。

 

 

 

平成16年6月6日(日)
昨日より今日は調子が良くない?
囲碁を見せても寝てばかりで、その後もあまり起きていなかった。
熱もなく、やや血圧が低めくらいか。

 

 

 

平成16年6月9日(水)曇りのち雨
ようやく医師との面談予約が取れ午後からNT病院へ向かう。
午後4時前到着。病室に行き、寝ている親父を起こすと、頷いた。
面談は偶然櫻田医師で、水曜日担当とか。
ゴールデンウィーク後あたりから発病した肺炎は相当おもく、危険な状態だったそうだ。
その為に心拍数と呼吸回数をモニターする装置を付けており、
急激に血圧が下がることから昇圧剤を何度か使用したということだった。
幸い抗生剤と昇圧剤の効きがよく、持ち直したとのこと。
今は抗生剤も止め、昨日から胃婁からの栄養を再開した。但し通常の1/3とのこと。
昨日今日とトラブルは起こっておらず、徐々に戻していくとのことだ。
但し、腸内に依然空気が貯まっており、潜血反応もプラスであることからどこかに疾患があることは間違いないらしい。
大腸癌だとしても進行は遅いようだとのこと。
貧血の状態もここ1ヶ月の間悪化しておらず、6点台をキープしている。
昨日は7.5を記録しており再輸血の要は今のところないようだ。
反応の鈍さは相変わらずで、脳内になにか疾患があるためなのか機能的なものか判断は出来ない。が、疾患であれば全く反応しなくなるはずなので永年に渡る寝たきり生活から来る脳の機能低下、あるいは肺炎を繰り返した事による体力低下が原因ではないか。
今は腸内細菌のバランスを取る薬と腸内感染症予防薬、
出血が単純な胃潰瘍等による可能性を考慮して胃薬を処方しているということだった。
尚、闘病の楽しみとしてもリハビリを再開して貰うようにする。

 

 

 

平成16年6月12日(土)
梅雨の晴れ間、NT病院へ行く。
相変わらず居眠っていることが多いものの、
熱もなく酸素飽和度は99と先日の医師の話の通り肺炎は治まったようだ。
何を聞いても返事もないが、途中言語療法士の加羅さんが部屋に来てくれる。
ほんの5分、10分ほどだったが、その間は目を開けていた。
帰り際に頷いてみせることも。
夕方から釣り番組を見せて、帰宅する。

 

 

 

平成16年6月13日(日)
明け方まで降った雨も上がり、NT病院へ向かう。
一昨日朝より首から肩にかけて痛く、運転にも支障が。右側を振り向いてみることが出来ない。
駐車スペース入れが難儀。
碁をずってと見ている。たまに居眠るものの結局最後まで対局を見ていた。
その後もテレビを眺めている。昼は胃婁から流動食を1/3。それをお袋が言うと頷いたそう。

 

 

 

平成16年6月22日(火)
4時頃会社を出てNT病院へ向かう。私鉄快速電車でNT病院到着は5時45分。
6時、親父は眠ってはいず挨拶を返す。終始何かを訴えるように目線を動かすが、理解不能。
テレビを点けると見入っていた。会社に電話を掛けてくる旨告げると、頷く。
7時過ぎまで病室にいる。熱などはないようだが、口を開閉させて一見したところ苦しげな様子。
苦しいかとの問いかけには反応なし。両手が腹の上に乗っており場所を変えてやると頷く。
7時過ぎテレビを点けっぱなしにして帰る。帰り際にも同じく頷いた。
言っていることの理解は出来るようだが、分からないように見える時もあり、不明。

 

 

 

平成16年6月27日(日)
昨日に続いてNT病院へ。週末2日を病院通いは正直辛い。
が、親父の今の状態を考えると手を抜くわけにはいくまい。
KK病院にショートステイした時代と違うのだから。
昨日から気のせいか体調が悪そうだ。胃婁からの食事も元の状態に近く戻り、抗生剤も使っていない。
体温も35度9分、血圧は116-69なのだが、反応がない。頷きもしない。寝てばかりいる。
NHK教育テレビの碁の時間もほとんど寝て過ごす。
が、途中体位変換と吸引した後から見だして、その後の野球中継まで今度は見ている。
3時半、野球中継を点けたまま病院を後にする。
車のメンテナンスにスバルへ。家族を乗せている以上メンテナンスは欠かせない。